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あの本を読んだ場所

人の記憶というのはおかしなもので、「絶対に忘れたくない」と思ったことをあっさりと忘れてしまったり、特別でも何でもないと思っていたことを、なぜか忘れることができなかったりする。

たとえば、とある本を読んだ場所。

それがもうどこにあったかも思い出せないのに、本を読み終えたその場所の様子が、もう10年以上がたつ今になっても、昨日のことのようによみがえる。

それは、どこかの駅構内にあるコーヒーショップで、カフェや喫茶店と呼ぶのはちょっとためらわれるような、どこか殺風景な空間。

店員の応対もなんだか適当、客たちの個性もちぐはぐで、店というより、たまたま自然発生したスペースのように、店自体が色を持つのを拒否しているような、そんな感じを受ける場所だった。

高い天井。妙に清澄な空気。壁はほとんど透明なガラスでできていて、駅の中を歩く人々を、まるで無音映画でも見るような気持ちで眺めることができる。

食べ物は感心するくらいに不味い。私はふにゃふにゃのホットドッグと薄っぺらいブレンドコーヒーを前に、途中だったその本を開いた。

本は、クリスティン・ヴァラ『ガブリエル・アンジェリコの恋』。
ガブリエル・アンジェリコが姿を消してしまうところからだ。

本当は、私は、その場所で続きを読むことに、ためらいを覚えていた。読み終わる前から、物語の最初の一行を読んだ時から、それが特別な物語であることがわかっていたから。

それは、一生に何度かしか出会うことのない物語だった。私をひっそりと遠くに連れ去る力を持つ物語。とても穏やかな物語なのに、読みながら、私は何度も叫びそうになる。

さっさと本を閉じて家に帰ろう。
そして、ひとりの部屋で、じっくりと物語を味わおう。
これは、ひとりの場所で読み終わるべき本だ。

そう思うのに、私は立ち上がることができない。物語はだんだんと終わりに近づいているというのに、ページをめくる指は止まらない。

本当ならば、立ち上がったり、呟いたり、首を振ったり、顔を手で覆ったり、思う存分泣いたり、笑ったりしながらそれを読みたかった。でも、そうできない私は、かわりに唇を強く噛みしめたり、短いため息を繰り返しつくだけ。

そして、私はその本を読み終える。その、間違った場所で。

仕方なく、私はずっと動かないままでいる。すっかり冷めてしまったコーヒーのカップを口につけたまま、ずっとずっとずっと動かないままでいる。

隣の席のおじさんが、怪訝そうな顔でこちらをちらりと見る。それでも私は動かない。正しくない動作をするよりは、その方がましだと知っている。

私は、物語が私の中を落ちていくのを感じる。
しっかりと奥の奥の方へ。
見届ける。

そして、溜息をひとつだけつき、本の表紙をゆっくりと撫ぜる。
それから、記憶だけで、もう一度その物語を読み返す。はじめからさいごまで。

その時に感じた感情も、場所とともにくっきりと思い出せる。

私は、全てのものが一生に一度きりだったらどんなにいいかと、そう思った。人は一生に一度だけ目覚め、一生に一度だけ食事をし、遊び、学び、夢を抱き、それを叶える。一生に一度だけ、泣き、微笑み、恋に落ち、キスをして、他人に触れる。記憶して、絶望する。そして、一生に一度だけ眠る。もう、目覚めない。

まるで一生が一日であるような、そんな一生。

そんな一生を夢見た後、でも、本当のところ、それは、今の私たちの一生と、何がちがうのだろうと感じたことも。一度と百度と千度に、何のちがいがあるのだろうと。

おかしいのは、そんな風に、読んだ場所とその時の感情は、ありありと思い出せるというのに、物語の内容はぼんやりとしか覚えていないことだ。

いつかまた読み返したいと、本棚のとっておきの場所に置かれたその本は、素晴らしいものばかりが詰まった宝箱みたいに、その存在だけで、私を温めてくれる。

あのコーヒーショップがどこにあるのか思い出せたら、本棚から取り出して、そこでまた読み返すことにしようかと、今はそう考えているところ。


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