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まなざしの宛先


まなざし。

そこに居る誰かから、確実に「わたし」に向けられる柔らかい視線。

ほかの「誰か」に向けてではなく、また一瞥ですぐに逸れるものでもない、方向と意味と温かさを持って注がれるもの。

私はそうしたまなざしの先に、自分を感じたことがなかった。

誰のどんな気持ちの宛先とされるかで、ひとは作られていく。

鋭いもので打たれればそこが歪み、強く抑えつけられると凹んでゆく。

抑圧を跳ね返す弾力は、誰かのまなざしを十分に受けていることで、備えられていく気がする。

植物が陽のひかりを浴びて育つように、ひとはまなざしで育つ。


眼からは感情が流れ出る。

攻撃的な感情と視線に晒されたところから、心は柔らかさを喪う。

歪んだり乾いて固まっていき、時には粉々に砕けることさえある。

人間の眼にはそれほどの破壊的な力がある。

黒く澱のように沈んだ、強烈な毒。

言葉は思いがなくても口にできるけれど、眼は誤魔化しが効かない。

それがわからなかったのは、私の眼も濁っていたからなんだろう。


長い間、誰かの目を見ることは無かった気がする。

見るに堪えないものは見たくないから、いつも視線を彷徨わせていた。

眼を合わせることは、威圧に抗うことか闘いを挑むことと同義で、それを諦めてから長い時間が経ってしまった。
眼を開いているのにほんとうに見たいものは何も見ていなかった。


自分を映している目と、ある日出会った。

破壊的ではない、別の強さを持った視線。

まなざしの先に自分がいることを感じて、他者の目を通して初めてそこに存在している自分を知る。

他者をそのまま映す目。

語りかける、声を聴く、まなざしを注ぐ対象として、そこに居る自分がはっきりと映る。

誰の宛先にもなれなかった、それまでの私は生きていなかったのかもしれない。

歪な関わりでどうしようもなく傷んだとしても、他者と関わることで、ひとはいつからでも生き始めることができる。

生きなおすことができる。













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