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結婚式で流したのは悔し涙。

こんにちは!

パートナーシップや自分の愛し方を本質から導く、
湘南に暮らす心理カウンセラーの見習い、渡辺サヤです。

【日程】残り0枠!いっぱいになりました!
 ありがとうございます!!
※また3月に募集をかけますのでよろしくお願いいたします。
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さてさて、結婚式って感動のドラマが沢山ありますよね(^-^)
しかしながら、私が結婚式で流したのは「悔し涙」でした。

義親のことは、旦那さんと付き合っていた時から知ってはいたけれど、
まさか、ここまでとは!?という感じでした・・・

まず、結婚前、両家の顔合わせの話も一切出なかったので、私の親に言われて、私と旦那さんが義親にお願いしました。

「なんで、そんなことしないといけないの?」
という発言にまず悲しくなり。。

その発言を伝えた私の母の反応は
「電話もないし、結納の話も無いなんて。別にこだわってないけど、話位しに来るわよね(怒)」でした。

母が悲しむと私の怒りが出てきて、旦那さんと激しい喧嘩を何度もしました。
「親がだらしないのは俺のせいじゃない!」
「うちはどうせダメだから、オマエんちみたいな普通の家にふさわしくない!」

マリッジブルーなんてものじゃない、本当に不安でいっぱいでした。

食事会当日、私の両親が
「本日は顔合わせありがとうございます」
と始終頭を下げていたことが、私としては惨めな気持ちでいっぱいでした。
義父はやはり酔っぱらっていて、最後は会計もせずに帰ってしまった・・・

結婚式は、なるべく費用を抑える様に頑張りました。
式場も安い教会、ドレスも安いもの。
案内状も全て手作りして、会場の配置も料理も全てウエディングプランナーのように考えました。

前日、結婚式がうまくいくか心配で3時まで眠れなかったのを覚えています。
そして、結婚式当日、義母は旦那さんの会社の上司に挨拶に行きませんでした。
控室でずっとタバコをプカプカ。
私の方の親戚の伯父に
「向こうのお母さんタバコ凄かったぞ」
と言われたのを覚えていますが、式に集中していて聞き流した言葉。

「結婚式がしたくて結婚するのではないんだから」
「義親と合わなくても旦那さんと合えばいい」

そう言い聞かせる一方で、自分の親の気持ちを思うと悲しさと悔しさでいっぱいになりました。

式が終わりに近づき、少しホッとした時に
「終わった終わった」と、上司や来客の方々よりも先に帰ってしまった義親を見て、知らないうちに左頬を涙がつたいました。

悲し涙なのか、悔し涙なのか・・・

戦場に行くような気持ちで結婚したので、幸せに浸る余裕なんて当時の私にはありませんでした。

「幸せになるね」
じゃなく
「幸せになってみせる」でしたね。

友達の賛辞の声も入ってこなかったです。

***

旦那さんの上司が帰る際に、
「今まで出た結婚式の中で一番質素だったけど、一番良い結婚式だった」
私に言ってくれました。
その方は、主人が新卒の面接時から目をかけてくれて育ててくれた方。

式が終わり、自分の親の前で号泣しました。
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいで・・・
亡き父がその時私にかけてくれた言葉
「今オマエが悲しいと思っている感情は、今日からオマエの旦那さんになった彼が小さい頃から感じていた感情だ。
そんな人と結婚したんだ。他の人以上に幸せにしてあげなさい。」

そうか、私の親はこんなことでたいして傷つかない。
私が親を慮って泣いたり傷つくのはやめよう。



振り返ってみると、この時の父の言葉って私には忘れられません。
「自分の痛みよりも相手の痛みをみる」
ってことがパートナーシップには大事で、
それをずっと長く続けるにはどうしたらいいのか?
という事を考えたときに、
やはり、自分が無理なく愛する力を蓄えていることが大事なんですよね。
自分が今どういう状態か俯瞰する。
自分が自分のマネージャーのようになるって事でしょうか。

***
私にとっては結婚式は、決意の儀式でした。
あの時流した涙は今は笑い話に変わった・・・
子育て中に、公園や海でママ友とビール飲みながら笑ったわー
楽しい時間が沢山出来た。
あの時諦めないで良かった(*^^*)
無理をしないと掴めないものもあるなあと、しみじみと思ったりするのです。

たとえ、その後に離婚したとしても、
私はきっと、同じことを言っていたかもしれません。

10年前の昔話
渡辺サヤでした(^_-)-☆


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