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noteを書くことなんて想像もできなかった1年前:2021年を振り返って

こんにちは。

2022年が始まりましたね。



新年早々、昨年のことを書くのもどうかなと思いつつ、
このタイミングで残しておきたい気持ちもあるので、

綴っていきたいと思います。


さて、

年末に2021年を振り返ろうと思い、
以前の記事でも紹介させていただいたノートを見返しながら、

2021年の軌跡を書き出していたのですが、

まだ読まれていない方は是非覗いてみてくださいね!



本当に様々な学びや気づきがあった中で、

「これは本当に変わったなぁ…」

と思うことがあったので、ここに記録として残していけたらと
思います。


発信することができなかった2021年のはじまり


2020年の後半、オンライン授業だった大学を休学し、
様々なことを振り返ったり、自分の中の軸を再編成する時間として、

上記のノートに様々なことを書いたり、
様々な方に Zoom などでお話を伺っていたのですが、

その時に強く感じたのが

発信することが怖い。自分の意見が言えない。

ということでした。

大学に進学し、

自分の当たり前が必ずしも周りの人の当たり前ではないということ
私にとって辛いと感じる経験でも、もっと辛い状況に置かれている人はいること
仲がよく、いつでも帰りたいと思える家族がいることは幸せなことであること

いろいろなことを知り、自分がしてきた経験の小ささ、
知らない世界の大きさを

痛感させられました


これもあってか、


何かのニュースに対して自分が感じることやもった意見、

自分の経験について考えたこと、感じたことなどに関して、

自分の意見を言うこと

発信することに対して

怖さを感じてしまっていました。

自分が発した言葉がいつ、誰を傷つけてしまうのかわからない、といった気持ちや、
誰かに批判されたらどうしよう、という気持ちもあり、

心の中にはいろいろと思いや考えはあっても、
それを伝えられない、表現できない、発信できない日々が続きました。



今思えば、休学中は自分にとってコアでもある
価値観や大切にしているものについて

改めて問いなおし、向き合う時間にしていたので、

自分の意見を他人に表現することは、自分の内なるものを表に出す作業でもあり、

そんなある意味繊細な作業に対して、

普段より一層敏感になっていた、とも考えられるのかなと思いますが…。



もともと中学や高校の時は、

とにかく文章を書いて発信することが好きで、

何かボランティアを経験したり、
年度の終わりや年の終わりなどの節目の時には

Facebookなどを通して自分の気づきや経験したことを発信していました。

それもあり、
発信することが怖い、と感じている自分に気づいた時は、

ショックも大きかったです。



この状態は2021年がはじまってからも続き、

当時はなぜ自分がそう感じていたのかわからず、

打開策が見えない壁にぶつかっているような感覚でした。


殻を破るヒントを見つけた2021年2月頭

そんな破れない殻に包まれていた中、

2月の頭、何気なくYouTubeを見ていたら

中田敦彦さんが「繊細さん」(いわゆる HSP/Highly Sensitive Person)に関する本を解説している動画を発見。

中田さんがもとにしている本は
『今日も明日も「いいこと」がみつかる 「繊細さん」の幸せリスト』
武田友紀 著 です。
個人的にすごくおすすめの動画なので興味がある方は是非!

動画で解説されていたいくつかのポイントに強く共感して、

しばらく破り方さえわからなかった殻を破れそうな

ヒントを見つけることができました。

ここでもいくつか紹介しますね。


① 幸せは主観的・人と比べるものではないもの

動画の中でとても印象的だったのが、

幸せと成果は別物である、ということです。

成果がとても重要視される現代の社会で、

繊細さん、と呼ばれる人は
「これ素敵だな」と思うことや、自分の趣味などに時間を割くと、

どうしてもその時間が

非生産的であったり
時間の無駄遣い

だと思ってしまいがちであると。
(今はだいぶ考えが変わってきましたが、当時はこれがすごくしっくりきていました。)



でも、幸せは完全に主観的なものであるからこそ、

人と比べられるものではないし、

お金をどれだけ稼いでいるか、ということや
どれだけ生産性があるのか、ということでは

はかれるものではない、ということが動画では解説されていました。

すごくお金を稼いでいる人でも、
幸せと感じる瞬間は美味しいお味噌汁を飲んでいる時だったり、

天気がいいということに幸せだを感じる人もいる。

私も移動中や散歩中に、
景色を見ながらぼーっとして、いろいろなことを感じることが
とても幸せな時間だったりします。


そんな感じで、

一番大切なのは、自分が幸せかどうか、ということ。

何かを生み出すことに関係していなくていい。

これを認識すること、ということなんだそうです。


動画で解説されている文脈とは少し異なるかもしれませんが、

この「幸せは主観的なもの」ということを聞いてから

なんだか肩の荷がスッと降りた感じがしました。

人がどう思うか、ということを気にしすぎていた自分にとって、

主観的なもの、と割り切っていいんだ、と

そんな視点をもてたのは、

破れなかったからを破ることにつながる大きな一歩だったと

感じます。


幸せ、という多くの人にとって大切で、ある意味繊細なものを

「主観的なんだから、私はこう」

という風に割り切っていいのであれば、

他のことに関しても、少し自分勝手に

主観的なものであると、割り切ってもいいのかな

と思えるようになりました。



② 「自分のために」表現する 

もうひとつ、動画を見ていて「わっ!」となったこと。

表現できない、発信できない、と悩んでいた私にとてもタイムリーに飛び込んできたこと。

それは、まず表現をするこの大切さ。それに加えて、

「自分のために」表現すること。

そして、本音で表現すること。



人は、自分が育つ時期にアウトプットが増えるようで、
インプットをたくさん得て、パンパンになった時にアウトプットしたくなる、
そして、それが伸びる時であると。

そんなことが解説されていました。


これ、なんだかすっと腑に落ちたんですよね。
確かに今までもそうだったな、と思う自分もいました。

発信できない時期はこのままずっと続くのかなと

結構深刻に悩んでいた自分にとって、

あ、もしかしたら、これは波のように、きては去る、そんなものなのかな、と

思わせてくれるものでした。
(再認識させてくれたもの、とも言えるかもしれません)

そうであるなら、

アウトプットしたい気持ちが生まれた時に、

その気持ち、勢いに、のっていけばいいのかな
、と。




また、動画ではどんなアウトプット・表現も

上手じゃなくていい、と

解説されていました。

文章にしても、写真にしても、何か作品を作るにしても、
自分より上手な人は世界にたくさんいますよね。

でも、

自分のために表現をしているのであれば、

自分がやりたいから表現をしているのであれば、


それは幸せと一緒で、

上手いかどうかや
お金になるかどうか、何か成果を生み出しているかどうか

ということは、関係ないんです。

動画で「じゃないと、表現はじめられないよ!」と中田さんが言った時は、
なんかぐさっと刺さるものがありました。笑


③ 本音で表現する

本音で表現することは、
自分が信じていることを世に出すことでもあるため、

とっても怖いことでもあるのですが、

自分の興味があること

自分のために

深掘りしていくことが、表現のスタートになると。

とことん深掘りしていくことは、

自分が本当に思っていることを突き詰めていくこと
自分が信じていることを表現すること

それらが本音で表現していくことに繋がり、

どれだけひとりよがりな、自分が興味あることをただ突き詰めていっただけだとしても、

あるところまで深掘りすると

「普遍的な水脈」にぶつかり、同じバックグラウンドをもっていたり、経験をしてきていない人でも

必ず共感してくれる誰かが現れる

ということが解説されていました。


これを聞いた時、
なんだかすごく納得して、

あぁ、だからこそ、
怖くても、本音で表現することが大事なんだな、と

思うことができました。

多分、人と繋がりたい、という思いは強かったんだと思います。



この気づきはとっても大きなターニングポイントになリましたね。


殻を破る:実践編(3月後半〜)

この気づきを得てからは実践あるのみ、という感じではあったのですが、

もちろん、そんなすぐに思い通りに本音で表現ができるようになるわけでもなく。笑

しばらく葛藤は続いたのですが、

3月の終わりにある居住施設に住みはじめて、

80人くらいの高校生、大学生、20代を中心とした社会人と生活をすることになり

ある意味表現をしない、という選択肢がない環境に身を置くことで
(人と深い話をすることも、本音で表現することだと思うので)

気がついたら表現が少しずつできるようになっていたように感じます。


2021年は本当にたくさんの素敵な出会いに恵まれて、

ここ10年くらいの中で、恐らく一番多くの人と出会い、
出会っただけでなく、深くつながるきっかけが多かった年のように感じ、

上記の施設での生活の中でも、

単に表現をする機会が多かったから表現ができるようになった、というよりは、

ここなら本音を言っても大丈夫かもしれない。
この人たちならきっと耳を傾けてくれる。

そういった安心感を感じられる場に身を置けたからこそ、

殻を少しずつ破ることができたようにも感じます。


そんな流れで、

6月、7月には、
2〜5月に大学の授業で学んだことをもとにセミナーを開催したり、

8月からは note を始めることができました。



1年前は、興味はあったものの
自分が note を書くことなんて(怖すぎて)想像もできませんでしたが、

1年後の今、

本音で、自分が信じていることを、
こういった形で表現できていることは

本当に幸せなことだなと思います。


さらには、いくつかの記事ではコメントをいただいたり、
読んでくれた知り合いの方数名から連絡をいただいたり、

好きなことを、好きなように表現している先で、

共感してもらえたり、
人とつながることができていること

本当にうれしく思いますし、感謝です。

最後に

またまた自由気ままに書いてしまいましたが、

ここまで読んでくださった方、
ありがとうございます。

訪れてくれた方に何か響くものや、
共感できるものがあれば嬉しく思います。


前述した通り、やはり私の表現にも波みたいなものはあり、
時には表現せず、インプット重視になる期間もありますが、

今年も自分のいろいろな面を

できるだけ飾らない形で

表現していけたらいいなと思っていますので、

気長にお付き合いいただけましたら嬉しいです。


ぜひ、一息つきたい時などに覗きにきてくださいね。


それでは、また!

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