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不幸のすべて・第四十三話「天の時に対する節目」

 前回は、
 自然の法則に即して努力しなければ効率も悪く無駄と言うものですと言うところで終わりました。今回はこの続きです。宜しくお願い致します。

 自然の法則に即して生きることは、

——天の時に対する礼儀と節目ふしめ

 を意味しています。祭礼についてのお話が長くなりましたが〈天の時〉とは、今、この世に存在していて巡り来る時の流れのことです。
 また、〈礼儀〉は祭礼を守り行うこととその方法です。
 では、〈節目〉とは何のことでしょう?
 節目は物事の筋道すじみちや区切りのことです。物事のはじまりや終わりのことを意味しています。ある出来事がいつはじまったのか、それとも終わったのかも分からないような状態では、物事の礼節を欠くと言うものです。これではケジメもありません。公私を混同せず、ケジメを持って物事にあたる必要があります。
 多くの物事は公私混同により混乱します。
 おおやけの立場とわたくしの立場はきちんと分けるべきです。
 人は立場によって様々な顔を持ちます。これは様々な人格を持つと呼ぶべきかも知れません。何も会社の中だけでのお話ではありません。
 たとえば、ある人が〈親〉としての立場を持っていたとします。子供の前では不道徳な行為を慎むのはもちろんのことです。
 また、同じ人が〈友人〉と言う立場であったとします。それは友人たちと楽しい時間を過ごすため、多少のハメを外しても、多分、許されることでしょう。
 このふたつの場合、同じ人でも、まったく違う人格に見えるかも知れません。立場によって人格が違うと言うことは、人は立場によって役割も各々異なると言う意味です。そしてその役割の中できちんとしたはじまりと終わりを持つ必要があります。
 特に終わりは重要です。これは古くから、

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