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祈りのカタログ・第三十三話「ノリノリですねぇ」

 音楽のない場合、つまり演奏家のいない場合、踊り手は自然の音に合わせて手を振り、足を踏み舞い踊ります。すると無音だと思っていた踊りの世界に音楽を感じる想いが生まれます。
 その想い、リズムや拍子や無意識に感じる旋律は、誰にでも心の中で感じることが出来るものです。もしかして、まったく違う種類の感性を持っている人が自分とは違う感性のリズムで踊る人たちを見たら、その踊りの世界にリズムを感じることが出来ないかも知れません。その時は〈ノレれない〉とか〈ノリが悪い〉と言ったりします。
 この〈ノリ〉と言う言葉は、案外、古くからあって〈気分が乗ること〉や〈調子付くこと〉を意味しています。
 少し前の時代に、
「ノリノリですね」
 とか言った妙なセリフを聞いたことはありませんか?
 最近はこう言うのを聞いたこともありませんが、これはたぶん、たぶんですが70年代頃に全盛となった言葉だと思います。もしかすると、もう少し前からあったかも知れません。しかし、いつからあったかそれを本気で知りたくなるほど大切な言葉ではありませんね。
 ここで考えてください。どのような場合であっても、ノレるか、ノレないかと言う違いだけで、どこか人類共通のリズムがあると言うことを……。それがないと共感する基準もありません。
 共感する基準がどこかにあると言うことは、

——自然の音を音楽として感じられる基本のリズムを誰もが持っている。

 と言うことです。
 この自然の音を感じるための基本のリズムとは、いったい、どのようなものでしょうか?
 自然の音の基本リズムは、心臓の鼓動の中にあり、それを基本にしています。

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