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六道さんで逢いましょう【第一章・新盆の季節】
第一章 新盆の季節
【1】
お盆は毎年やって来る。
だけど四十九日法要を終えたすぐ後にやって来るお盆は、やや事情が異なる。
初盆、あるいは新盆。
宗派によって呼び方が違うとは言え、意味は同じらしい。
そして時代と共に呼び方の区別が曖昧になり、家が日蓮宗であっても「初盆」と口にする人も多いんだそうだ。
『あんたも、今年はおばあちゃんの初盆やさかい、早めに京都帰っておいでな』
母は多分、元からの癖なんだろうな……と、受話器越しに声を聞きながら菜穂子は思った。
通常のお盆でも、普段よりも種類の多いお供え物を仏壇の前に並べて、祖先の供養と言う形で手を合わせていた。
それが新盆になると、四十九日以降初めて迎えるお盆だからと、故人が生前好きだったものをお供えしたり、親戚やお上人さんを招いて法要を行うなど、通常のお盆よりも規模が大きくなるのだ。
祖母の年齢を考えると、もう招く親戚はほぼいないにしても、お上人さんを招いての法要と仏壇の飾りつけに関しては必須だ。
去年や一昨年のように、バイトに明け暮れてお盆ギリギリに帰って来るなと言う母の言い分は、菜穂子にも理解が出来た。
「分かった。大した用もないし、バイト調整して早めに帰るわ」
『なんや、えらい素直やないの。彼氏はどないしたん』
「……っ」
さらっと頷いて済ますつもりが、情け容赦のない身内のツッコミが入った。
菜穂子は受話器に向かって危うく舌打ちをしそうになった。
「……人生出会いもあれば、別れもある」
『なんやの、一丁前に。要は別れたんやな』
母に向かってあれこれと話をした覚えはなかったが、祖母には話をしていた手前、内容は筒抜けだったようだ。
そう。
ついこの前、菜穂子はフリーになったのだ。
理由は相手の二股。まさかの後輩。
別れの言葉は、腕に後輩を抱きつかせたまま「そう言うことだから」と。ただ、それだけ。
後輩に劣るのか、と。
女に嫌われる女を地で行くような後輩に、自分は劣るのかと。
その晩コンビニで缶チューハイを買い込んだ菜穂子は、一人暮らしの自宅で人生初めての「ヤケ酒」をあおった。
おかげで自分が酔いつぶれる量と言うのが、よく分かった。
それだけが今回身についたことかも知れない。
「京都帰ったら、安井の金毘羅さんで男運の悪さ立ち切って貰いに行くわ。鳥居をくぐらんかったらいいんやろ?」
京都でも有名な縁切り神社は、実家からは自転車で行ける距離にある。この際、二度とあんな男に引っかからないようにと、お参りに行こうと菜穂子は思ったのだが、母は『あほやな』と、菜穂子の呟きを一刀両断した。
『喪中の間は鳥居をくぐったらあかんって言うのは一種の比喩らしいえ? 神道においては「死ぬ」いう穢れが残っている喪中の間は、基本的には神社への参拝は控えましょうって言うのが正確な話らしいわ。鳥居は神社の象徴みたいなもんやさかいにな』
「えっ、そうなん⁉」
どうやら菜穂子は勘違いをして覚えていたらしい。
ただ、同じ様に覚えている人は多いようだと母は言った。
『そもそも、お母さんもそう思てたんやけどな。それである時うっかり神社を通ってしもたことがあって、お上人さんに「どないしましょ⁉」言うて、焦って電話したことがあるんやわ』
もう、くぐってしまったらどうしようもないと思うが、母も焦っていたんだろう。
お上人さんは、電話の向こうで苦笑交じりにこう教えてくれたらしい。
『あくまで「控えましょう」と言うだけのことで、もともと神様の方が「八百万の神」言われてるくらいで、人間のすることに対しては寛大なんですわ』
罰が当たるとか、お祓いが必要とか、そこまでの心配はしなくていいとも、お上人さんは言ったそうだ。
「え、じゃあ金毘羅さんに行かへん方がいいんかな」
それはそれで、もやもやするな……と思ったのが電話越しにも伝わったのか、母の何とも言えない小さな笑い声が洩れ聞こえてきた。
『喪中の一年と言う考え方もあるし、四十九日と言う考え方もあるらしいわ。それこそ、お上人さんやないけど、神様は寛大やいうことらしいから、逆にすっぱり次に行けいうて、縁切ってくれはるんと違うか』
神様は寛大。
それはそれで納得のいく話ではあるけれど、母なりの励ましも、少し入っているんじゃなかろうかと、菜穂子は内心で思っていた。
聞いても答えてくれるとは、思えなかったけど。
「そしたら、今年の夏は早めに帰るわ」
だからそれだけを声に出して、その日は受話器を置いたのだった。
【2】
お盆、お盆と口にはするが、そちらは略称らしい。
正式名称は、盂蘭盆会。地域によっては盂蘭盆と言うところもあり、いずれも語源はサンスクリット語の「ウランバーナ(逆さに吊り下げられた苦しみ)」からきているんだそうだ。
わが子可愛さのあまり餓鬼道に落ちた釈迦の弟子の母を弔うため、読経やお供え物を捧げたところから始まる宗教行事で、中国から日本にその習慣が伝わった後は、日本古来の信仰と混じりあいながら、ゆっくりと今のお盆の習慣が形作られていったのだとか。
僧侶の夏の修行が終わる日、旧暦の時代の7月15日だったこともあり、7月にお盆行事を行ったり、それが旧暦であることから現在の暦である8月に行事を行うところと、宗派、地域によってお盆の捉え方にはすこし違いがあるのだという。
言われてみれば、東京のバイト先の知り合いの中には、7月に親戚で集まると言った話をしていた子がいたような気もする。
そんな話を聞きながら菜穂子は、案外お上人さんもお経以外に覚えないといけないことが沢山あるんだな……と、感心しきりだった。
直近で亡くなった人がいないとしても、祖先への供養としてお墓の掃除を行い、家庭内では仏壇に「精霊棚」の飾りつけを行う。
飾りつけるものに関しては、これも宗派ごとに多少の差があるらしいが、時代と共に仏壇そのものの置き場のないマンションも増えてきているらしく、そのあたりは「手に入るもので臨機応変に」という形で、最近は法要を行っているんだそうだ。
確かに通信販売サイトで「お盆供養セット」などと検索をかければ、ガラスや陶器で出来たイミテーション、造花などで小ぶりに作られたものがいくつもヒットする。
究極の行事短縮で、お上人さんがお経をあげに来られて、その後お墓参りに行くだけと言う家もあるらしい。だが深町家には先祖由来の仏壇が、祖父母が暮らしていた家の方にまだしっかりと鎮座していたため、それなりの手順をもって準備は進められていた。
ただその便利さに、もしかしたら菜穂子がこの行事を引き継ぐ頃には、通販セットを頼んでしまいような気も、ひしひしとしている。
何せ普段のお盆よりも飾りつけの多い「新盆」も、わざわざ区別されたセット商品が販売されているのだ。
覚えていられないとなったら外注してしまうな……と、内心ではちょっと思っていた。
「よそさんでは迎え火・送り火言うて、お墓やら玄関先やらでちょっとした火を焚いてご先祖様をお迎えしたりお送りしたり……いうのをやってはりますけど、京都は『迎え鐘』と『五山送り火』がありますさかいに、ちょっと独特ですやろな」
お上人さんの言う「よそさん」とは、つまりは京都以外の土地と言うことだろう。
もちろん、京都でもお墓や玄関で「迎え火」「送り火」をやる家だってあるのだが、何せ冥府まで鳴り響いて、ご先祖様をこちらに導くと言われる鐘と、全国的にも有名な送り火があるのだ。
長らく地元に住んでいる人の多くは、この『迎え鐘』と『五山送り火』こそがお盆行事の一環であり、これに関しては宗派云々よりも、先祖を敬う気持ちの方を皆、優先しているのだと考えられていた。
「外のお人らは『大文字焼き』やら言うて、なんや間違った覚え方をしてはりますけどな。本来は、ご先祖様の霊に迷わず浄土へと戻って貰うための道標ですさかいにな。送り火の由来を知ってたら、大文字焼きとはよう言えませんわ」
確かに菜緒子も東京にいた間は、何度か「大文字焼き」と言われた気はする。
先祖送りの行事と言うよりは、〇〇川花火大会のような、イベントの一種くらいに思われている面は否定出来ない。
迎え鐘に至っては、関東圏ではさっぱり認知度がない。
バイトのシフトを入れない理由として、お盆のあれこれを説明した時に、まるで通じなかったからだ。
へえ、さすが京都――などと、よく分からない納得の仕方をされたりもした。
「深町さんとこも、お墓での迎え火やのうて、六道さんの鐘をつきに行かはりますんやろ?」
前月の祥月命日で、深町家にお経をあげに来たお上人さんは、むしろそちらが普通だとばかりに、そう尋ねてきたのだった。
【3】
お盆の時期は祖先の霊たちがあの世から帰って来るとされていて、京都でなくともさまざまな行事がとりおこなわれている。
ただとりわけ京都には、お盆の前にお寺にお参りし、祖先の霊すなわちお精霊さんをお迎えする風習が残されていた。
――「六道まいり」だ。
平安時代、京の六波羅地区から東側一帯は、かつて「鳥辺野(とりべの)」と呼ばれる一大葬送地だったという。
鳥辺山(とりべの)と書くこともあるそうだが、そちらは鳥辺野の異称らしい。
霊柩車のなかった時代、故人の遺体は葬儀が終わると、近親者や地域の人たちが棺を担ぎ、葬列を組んで埋葬地にまで送っていた。それを「野辺の送り」と言い、葬儀のうちの最も重要な儀礼の一つだったんだそうだ。
その「野辺の送り」をした鳥辺野の入口が、六波羅地区から東側一帯に位置したことにより、あの世との境「六道の辻」がそこにあると位置づけられ、お盆には先祖の霊は必ず「六道の辻」を通って現世に里帰りしてくるとの伝承が併せて広がった。
それが、今に続く「精霊迎えの行事」だ。
そう言った由来で実際には、かつて鳥辺野と呼ばれていた地域にある複数のお寺で「六道まいり」は行われているらしい。
だが冥土までも響くとされる「迎え鐘」や、生者でありながら冥府の役人も務めていたとの伝承が残る小野篁の存在によって、中でも六道珍皇寺がその象徴と一般的には思われているようなのだ。
実際に菜穂子も、前回の祖父の新盆に関わって、お上人さんからきちんとした話を聞くまでは「六道まいり」はイコール六道珍皇寺の行事だと思っていた。
小さい頃には、祖母が当たり前のように、曾祖父や祖先の霊を迎えに行くと六道珍皇寺に連れて行ってくれていたため、六道珍皇寺が日蓮宗のお寺ではないと言うことさえも知らなかった。
臨済宗建仁寺派。山号は大椿山。本尊は薬師如来……らしい。
中国伝来仏教と、日本古来の慣習が上手く融合した最たる例なのかも知れない。
いわゆる「洛中洛外図」の外側では「六道まいり」にわざわざ行かない家もあるらしいが、それはもう、一つ一つを挙げるとキリがないそうで、お上人さんは「要は気持ちの問題ですわ。お精霊さんをお迎えする、言うね」と微笑って言っていた。
深町家とて、家はかつて「鳥辺野」と呼ばれた地区の側であって、それは「洛中洛外図」の外側だ。
それでも祖母以前の時代から、お盆の時期には六道珍皇寺に「六道まいり」に出かける。
お上人さんも、日蓮宗だからと言って、それを咎めだてするようなことはない。
冥土までも響くとされる境内の「迎え鐘」をついて、祖先の魂をこの世にお迎えする。
それは五山送り火と共に、宗派を超えた京の伝統行事なのだ。
だから「六道さんの鐘をつきに行かはりますんやろ?」と問われれば、答えは「是」となる。
「朝から行くか、日が暮れてから行くか、どっちにしても暑い時間帯は避けたいところですけど、それはそれで混みますさかいに、悩ましいところですわな」
「そうですなぁ……今年はどないしましょ……」
お上人さんと母がそう言って会話を終えるのも、ある意味伝統行事の一環だと言えた。
(日が暮れてからにしようかなぁ……)
あまり朝が得意ではない菜穂子は、うっすらとそんな風に考えてはいたのだが。
【4】
えらい素直やないの、などと言われたことには思わず反発をしてしまったが、菜穂子は結局8月に入ってすぐ、六道まいりの行事が始まる少し前に実家へと戻った。
一応、五山送り火が終わるまでは京都にいる予定で、バイトのシフトも調整をしてきた。
新幹線に乗っていると、祖母の最後に間に合わなかったトラウマが未だ胸を締め付ける。
だがこればかりは月日の経過を待つより仕方がないのかも知れない。日にち薬とは、よく言ったものだ。
月日の経過が薬の代わりになる。
そう言えば、発音以外に東京に行って通じなかった言い回しがいくつかあったのだが、この「日にち薬」も、そのひとつだった。
そのまま、薬を使わず時間が経つのに任せると言う意味ももちろんあるが、実際には、時間が心の傷を癒やしてくれる。そう言う精神的な意味合いでの使い方の方が日常的だった。
本当に、時間が心の傷を癒してくれるかどうかは分からない。
時間がたってゆっくりと想い出に変わっていくことを、そんな風に思っているのかも知れない。
何にせよ、分かっているのは今すぐにはこの、祖母のいない寂しさは心の中からは消えないと言うことだ。
「……うん。とりあえず、安井の金毘羅さんに行ってこよ」
もちろん、手伝えと言われたことは手伝うが、母がこぼす愚痴を聞くのにも限度がある。
菜緒子はかねてからの宣言通り「京の縁切り神社」へと出向くことにした。
正式には 安井金比羅宮。ただ、地元では「安井の金毘羅さん」の方が通りがいい。
ご祭神は崇徳天皇・源頼政公・大物主神。
歌人として名をはせたと言う源頼政公、道開きの神とされる大物主神もそこでは祀られているにも関わらず、偏に崇徳天皇の存在が、縁切り神社としての側面をクローズアップさせてしまっている気がする。
崇徳天皇、ならまだいいのかも知れない。
ただそれが崇徳「上皇」となると、一気に最強の怨霊と見做されて、漫画や小説の題材としての知名度を爆上げしてしまっている。
保元の乱に敗れ、隠岐配流となり、遂には怨霊となったと。
戦によって寵妃と別れざるを得なかった我が身を顧みて、 幸せな男女の縁を妨げる全ての悪縁を絶つ祈願所となった――本来はそんな謂れがあるにも関わらず「呪い」と「縁切り」の面だけが前面に出てしまっているのだ。
かく言う菜穂子も、後輩と二股をかけた挙句によくもフッてくれた元カレへの、恨み半分新たな縁結び半分で行こうとしているのだから、あまり世間のことを言えた義理ではない。
「あんた、本当に行くんかいな。喪中や、言うてんのに」
玄関で靴を履いていると、母から呆れたような声がかかった。
「お母さんかて、もう神社の鳥居くぐってるんやろ?」
そっけなく言い返すと、図星をさされた母は言葉に詰まっている。
お上人さんに慌てて電話で対応方を確認したと、自分で言っていたのだから、言い返せるわけがない。
菜穂子は、サッと靴をはいて立ち上がった。
「八百万の神様は寛大なんやろ? それに、鐘ついてお祖母ちゃんが帰って来はった時に『彼氏とキッパリ分かれて、安井の金毘羅さんで縁も切ってきたわ』って報告出来る方がいいと思うんやけど」
「屁理屈やろ、それ」
ほとんど反射的に母は言い返していたが、どうやらそれ以上は、何も出て来なかったようだ。
「……外は暑いさかいに、帽子か日傘か、ちゃんと持っていきよしや」
結局そう言って、ふいと背を向けただけで終わってしまった。
【5】
近くに住んでいるからと行って、立ち寄ったことがあるとは限らないと言うのは、京都に住んでいる者にとっては、割に「あるある」な話だと思う。
菜穂子自身、遊びに来た大学の友達に頼まれるまで、金閣寺も大原も二条城も行ったことがなかった。
京都出身に京都を案内しろと言うのは、往々にして無茶ぶりになる場合もある。
安井金毘羅宮にしても、今まで「縁切り」を願うようなことがなかったこともあって、これまで足を踏み入れたことがなかったのだ。
徒歩圏内、清水寺や八坂神社、六道珍皇寺には行ったことがあっても……である。
割に街中にあることもあってか、安井金毘羅宮の入口はそれほど大きくない。
鳥居をくぐらなければ、喪中でも大丈夫……と言うのは、都市伝説的なただの噂らしいと最近知ったものの、通らなくて済むならそうしようかと何となく思っていた。
ただ、東大路通りに面した神社の入口は、真横に灯篭があるなどしていて、どう見ても避けて進むことは難しそうな構造だ。
(うーん……神様、ごめんなさい。どうしても悪縁切りしてから、おばあちゃんに会いたいので勘弁して下さい)
菜穂子は内心でそう呟いてから、鳥居に向かってぺこりと一礼して、境内へと足を踏み入れた。
市内の神社と言うこともあって、本殿にはあっと言う間に辿り着く。
視界の端に、真っ白い、蹲った雪男かとでも言うような物体が映っているものの、何にせよまずは本殿参拝。
しっかりと「切りたい縁・結びたい縁」を願えとあったので、それに倣っておく。
先に来ていた参拝客の女性が、菜穂子が手を合わせた後もまだ何か祈っていて、一瞬背筋が寒くなった。
きっと菜穂子以上に切りたい縁があるんだろう。
そう思うと、自分のケースがひどく軽いもののように思えてくるのだが、それはそれで、縁が切れた効果なのかもと知れないと、前向きに捉えるようにしておこうと思う。
本殿横に絵馬を掛けるところもあるが、チラッと見ただけでも、他の神社とは一線を画す内容が書かれているものもある。
(あ……あそこまでじゃなくてもいいかな、うん)
とは言え、手を合わせて帰るだけというのも今ひとつスッキリとはしないので、菜穂子自身は本殿側のテーブルにあった「形代」に、願いを書いて貼り付けておくことにした。
……一枚形代を手にして思う。
なるほど、これを参拝客のほとんどが糊で貼り付けていくから、境内の石が蹲った雪男の如く膨れ上がったわけだ。
石の傍には「縁切り縁結び碑」と書かれた立て札があり、石には人ひとりがようやく通れるほどの穴が開いている。
よく見れば参拝作法も書いてあり、菜穂子もそれに倣うことにした。
切りたい縁と結びたい縁を形代に書き、それを手にして、願い事を念じながらまずは表(手前)から裏へとくぐり、その後同じように形代を持ったまま、今度は裏から表へとくぐるらしい。
最後、その大石――「縁切り縁結び碑」に、糊で形代を貼り付けて参拝は終了のようだ。
(うん、二股男にバチがあたれとは言わないけど、アイツと後輩が悔しがるような彼氏をどうか紹介して下さい!)
一陣の風が吹き抜けていったのは、神様が願いを聞き届けてくれた……ということにしておこう。
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