尊厳を売り渡した×××へ

傷ついたり回復したりを繰り返しながら、傷跡は残ってしまうみたいに、自分にとってあまりにも身体化された言葉というものはあって、そういう言葉こそうまく説明できない。

尊厳、ソンゲン、わたしはこの言葉をよく使うけれども、あまり使わなかった頃より説明できなくなってしまった。説明できる/それがどういうものかわかるということは、一度それを身体から引き剥がして、距離をとって記述しなくてはならないということだからだ。

癒着した言葉の意味はもうわからないし、身体化されているからといって自在に使うこともできない。

今日わたしは「チヤホヤされるために尊厳を売るようなことはしない」と言った。たしかに言った。ではそのために、わたしは、わたしにたいして、どういう態度を取らねばならないのか、今うまく説明することはできないのだった。

SNSを使って誰もが発信者になるということは、誰もが自分をコンテンツ化して切り売りしていて、そのなかにはきっと、許せるだけの尊厳も含まれる。コンテンツにした部分は商品になって、売れる。お金も人気も集まると自分の価値が高まったように感じる。そうだね。コンテンツ力が高いのはいいことだ。そうだね。仕事が増えた、嬉しいね。そうだね。そうだよね。

そうしているうちに、自分を支持している人たちが嫌うようなことは言えなくなっていって、自分がちょっと我慢すれば問題にならないことには口を噤んで、みんなが望むわたしの形がわたし自身になって、尊厳を売り渡していくんでしょ。

人が、要素の集合では説明がつかないように、わたしはコンテンツではないことをわたしだけは知っておかなきゃいけない。

何に追われているんだろう。あなたの市場価値があなたの価値でないとわたしは簡単に言えるのに、わたしは自分に何かを課している。そしてその課した何かが、わたしの言う「生きているだけで」とか「あなたの存在自体が」とかを、嘘にするんだ。


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