広告業界の2大宗教「クリエイティブ教」と「データ教」が仲良くなれない理由
まあ、広告って多神教のような世界ですから。いろいろなやり方があっていいし、それぞれにレベルの高いやりかたもあるわけなので、それぞれがそれぞれのなかでがんばれば「全部アリ」なんじゃないかなって思います。
コピーライター谷山雅計さんの、あるインタビューでのコメントです。(出典)
広告業界には複数の宗教が存在しているという前提で考えると、いま広告業界は2つの大きな宗教に支配されているように思います。それがタイトルに挙げた「クリエイティブ教」と「データ教」です。
「クリエイティブ教」「データ教」とは
クリエイティブ教は、広告の企画・制作においてクリエイティブを重視する考え方です(そのまんまですが)。クリエイティブ部門の人はクリエイティブ教の信者である率が高いです(これもそのまんまですが)。
対してデータ教は、データを重んじる考え方です。データ計測の技術が発達したデジタル部門に信者が多いです。
なぜ2大宗教は仲が悪いのか?
ここがこの記事の要点なのですが、結論から申し上げると「両者の目指している場所(目的)が違うから」です。同じ"広告"というフィールドで戦っているように見えて、やろうとしていることが全く違う。
だから、クリエイティブ教とデータ教を協業させようとすると、すれ違いが起きてしまいやすいのです。
そもそもクリエイティブって何?
順序立てて説明していきます。
私見ですが、「クリエイティブ」という言葉には2つの意味があります。
①「このバナーCTR低いな、別のクリエイティブも試してみたいね」
②「クリエイティブの力で世の中の課題を解決していきたい」
①はコピーとデザインの総和を指してクリエイティブと呼んでいます。言い換えれば、広告を通じて何をどのように表現するかです。
②は、①と同じ意味でも通じるのですが、この手の発言があった場合、基本的に①とは全く異なる意味をもちます。
クリエイティブ教の人は②の意味で「クリエイティブ」という言葉を使いますが、データ教の人は原則①の意味しか知りません。この言葉の意味に対する誤解が、両者の間の溝を作っているのではと僕は睨んでいます。
クリエイティブ教の言う「クリエイティブ」の意味とは?
一言でいうと、世界の運命を変えることです。
…と言うと、トンデモ理論に聞こえるかもしれませんね。わかりやすいように具体例を挙げます。
かつて、日本において携帯電話といえばガラケーを指すのが当たりまえでした。今にして思えばありえないことですが、ある出来事がなければ僕らは未だにガラケーをポチポチいじっていたはずなのです。本来は、そういう運命でした。
その出来事とは、Apple社によるiPhoneという超"クリエイティブ"な製品の発売。結果、ガラケーには成し得ないような便利で豊かな生活が訪れました。世界の運命は、変わったのです。
「は?だから?」と思ったデータ教のあなたへ
わかります。広告屋の使命はクライアントの利益に貢献すること(だけじゃないですが、便宜上そういうことにしておきます)。「世界の運命が変わったとかいうけど、それが何なの?」とお思いでしょう。
しかし、ご注意あれ。"世界の運命"はクライアントの利益に直結するのです。
iPhoneの登場以前、ガラケー市場では熾烈なマーケティング合戦が行われていました。「消費者はガラケーにどのような機能を求めているのか?」「どのようなタッチポイントで、どのようなメッセージ(①の意味の"クリエイティブ"ですね)を送れば自社の製品の購買に結びつくのか?」そんなことを考え、メーカー各社は日々切磋琢磨していたわけです。
そんな各社の努力を尻目に、Appleはガラケー市場の全てを淘汰し、市場の大部分を手に入れました。この事例において、データを用いた企業の利益追求はクリエイティブに大敗を喫したわけです。
クリエイティブ教は「大勝ち」を狙っている
冒頭、クリエイティブ教とデータ教の仲が悪い理由を「両者の目指している場所が違うから」と述べました。
データ教は堅実に市場を分析し、その市場の中で一歩抜きんでる方法を模索しています。
一方クリエイティブ教は、市場全体を転覆させ、一人勝ちする方法を模索しているわけです。
目指すゴールが違う以上、話が噛み合わなくなることも多々あるでしょう。
クリエイティブ教とデータ教はどちらが正しいの?
仏教とキリスト教はどちらが正しいでしょうか?そんなものは、死んでみないと分かりません。
同じように、クリエイティブ教とデータ教もどちらが正しいのかは分からないわけです。
両者は一長一短です。
データ教は堅実で失敗がない反面、世の中が求める「正解」のやり方に近いため泥仕合になりやすいです。誰も大勝ちはできません。
クリエイティブ教は安全策を放棄しているため失敗の可能性が高いです。常に新しさを求められるため、方法論を確立しにくく教育が困難なのも欠点でしょうか。一方で、当たったときの爆発力は凄まじいです。
大勝ちを狙わなくてもよいのであればデータ教のほうが優れているのかもしれませんね。ただし一方でクリエイティブ教による転覆の危機に晒されているという意味では、一見堅実に見えても「リスクを取らないリスク」を取っているとも言えるわけです。
クリエイティブにもご理解を
プロフィール欄にも書いていますが、僕はクリエイティブ教の人間です。世界を変えてきた沢山のクリエイティブを愛していますし、いつか自分もそんなものを作れたらと思っています。
データの取得が容易になり、時代はどんどんデータ教へとシフトしています。そんな中でクリエイティブ教への風当たりが強くなり、「時代遅れ」とまで言われることもあります。
しかし、クリエイティブ教は現代においても市場を塗り替えるポテンシャルを持ち続けているのです。
さいごに
この記事はクリエイティブ教に肩入れしすぎているので、不快に思われる方もいるでしょう。ご意見はコメント欄にて常に受け付けています。
一緒により良い広告の未来を模索していきましょう。
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