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『天元突破グレンラガン』とライフサイクル 青年期編

こんにちは、カリックです。今回もラプンツェル回のようにアニメを使って発達心理学的な観点から見てみたいと思います。みなさんは天元突破グレンラガンというアニメをご存知でしょうか。(随分前のアニメではありますが、一応ネタバレ注意です)
今回はこのアニメを題材に話してみたいと思います。

ラプンツェルの時は女性の側からの精神発達を見てみましたが、今回は男性側から見てみます。


あらすじ

簡単なあらすじを説明します。
地下世界で暮らしていたシモンという少年が採掘作業をしていると、コアドリルというアイテムを見つけます。そんな少年が地上を目指し、人間を地下世界に押し込めたロージェノムという支配者に立ち向かうという話です。ちなみにこのアニメは2部構成になっており、前半はロージェノムに立ち向かうという話で完結します。

後半は、何故ロージェノムは人間を地下世界に押し込め支配していたのかという物語が語られます。ロージェノムは別の支配者と戦って負けた結果、人間を地下に逃がして守っていたことが明らかになります。その闘いが再現され、絶望的な状況でどう立ち向かうかが描かれます。

精神的発達と象徴

私は、このアニメを見ていた当時から「これは青年期から成人期、壮年期の成長の物語である」ということを考えていました。これを誰にも話すことのないまま大人になってしまいました。
もう10年以上も前のことになるのですね。

アニメの放送当時、私は大学生でした。
卒業論文について考えていて"generativity"について研究していました。
ちなみに generativityとは、エリクソンが漸成的発達理論で示した壮年期の発達課題のことなのですが、日本語では世代性、生殖性、世代継承性などと訳されたりしている概念です。この言葉はgeneration(世代)と creation(創造)を組み合わせた造語で、「物事を正しく生み育てることで得られる感覚である」と説明されています。
なんでそんなことを研究していたのかというと、成人して間もない頃『大人って何だろう?』という問いが私の中にあったからです。
その答えとしてたどりついたのが、このGenerativityの概念だったわけです。

この概念が説明されているエリクソンの発達理論は、特定の成長段階ごとに、心理的にも社会的にも危機が訪れ、それに挑むようになっているというものです。また、危機に直面した人がどうなるかという説明と、解決に必要となるエネルギーについて説明されています。

今回と次回で、先程触れた「青年期」「成人期」「壮年期」の3段階について説明しながら、物語の展開と一緒に解説させていただきます。


エリクソンの発達理論:青年期

青年期:中学性~20歳頃 同一性の獲得 対 同一性の拡散
青年期は「自分は何者か」「何者になりたいのか」について考える時期とされています。いわゆるアイデンティティ・クライシスです。
この過程で、自分が何者であるかという事に暫定的に答えを与え、自分は自分であるという感覚が得られた状態を『同一性の獲得』としました。反対に、自分が何者であるかわからずに混乱し、悩んでいる状態を『同一性の拡散』としました。一度達成されても、実際にはその間を行ったり来たりしています。どちらの状態が優勢であるかということが重要であるという研究がありました。

Ericksonはこの時期に必要なエネルギー"virtue"を『忠誠』だと言っています。青年期は何か全身全霊で自分自身を投入する何かを見つけ、実際に没頭して打ち込むうちに、所属感が生まれ、経験して技術や知識を獲得し、暫定的に何者かになるのです。

没頭して打ち込むことで、一時的に自分自身を失う経験をするのです。

その際に自分を預ける先に『忠誠』を捧げるわけです。

忠誠を誓った対象が何であれ、自分自身を投入すればするほど所属感が生まれます。所属すると自分が何者であるか説明することができるため、仮の自己定義ができます。

そうやって自分を徐々に作り上げていくのです。


グレンラガンにおける青年期の象徴

アニメの中でシモンはコアドリルを手に入れますが、そのエネルギーを自分自信のために使うことを躊躇います。そこにカミナという兄貴分に出会い、彼を慕い、魂の忠誠を誓うのです。
自分のために使えなかったコアドリルを、「アニキ」のために使えるようになるのです。

そうしてシモンは行動することができ、成長していくのです。様々な経験することで、技術が磨かれたり自分の中にある強さを見つけていきます。
そして、地上に出たシモンたちは仲間を増やしていき、自分たちを大グレン団を結成し、集団への所属感を強めていきます。

しかし、シモンが成長してきた頃にカミナが死んでしまいます。これまで精神的な支柱であり、行動の理由だったカミナが不在になり、シモンは行動できなくなってしまいます。
カミナが死ぬ前のある時、カミナがなかなか自信が持てないシモンにこう言うのです。

「お前が信じる俺を信じろ。俺が信じるお前を信じろ。」

この言葉が大事な場面でリフレインします。精神的な支柱である大事な他者を自分の中に取り込む(内在化する)過程の心理描写がされていました。  

カミナを失って落ち込んでいるところに、敵の戦闘員が現れ追い詰められていきます。絶体絶命の苦境に立たされるのです。頼れる存在を失ったこと、ひとり立ちを迫られる精神的な危機と、戦闘による自分や仲間の生命の危機が同時にやってきます。

シモンはカミナの言葉を頼りに、借り物だったアイデンティティを自分のものにする決意をします。
心の成長に反応して、コアドリルが大きな力を貸してくれます。
苦境を一気に「突破」するのです。

戦闘の危機と心の危機という逆境を一気に突破するところがとても痛快で気持ちが高揚して気持ちが良いのです。

こうした成長の演出がわかりやすく、エンターテインメントとしても楽しく見られるのが、私なりのグレンラガンの面白がり方です。


青年が戦う敵とは

ところで、敵である支配者ロージェノムは青年が戦う相手として象徴的に描かれています。青年は成長の際に「盗んだバイクで走り出す」ように、既存の社会体制に疑問を感じたり、反体制の行動をとったりするのですが、ロージェノムはまさに旧体制の支配者であり、倒すべき相手となるのです。

ロージェノムは決して無能ではないのですが(むしろ超優秀)、成長することをやめてしまった『停滞』の状態にいる人として描かれています。しかも、ロージェノムは動物人間を作り出し、人間を管理するために従えているのです。

このアニメの中では、人間が動物に抑圧されており、さらにその動物たちが別の人間にコントロールされているという構造なのです。
ここには2つの関係が存在します。
「動物に抑圧される人間」と、「動物を抑圧する人間」です。

前提として、象徴的に考えると、動物=動物的欲望=本能(性的な欲動)と見ることができるのですが、全社の「動物に抑圧される人間」とは、本能を抑え込もうとして逆に振り回される若者を表していると解釈することができます。

もう一方で、彼ら動物をコントロールしているロージェノムは、本能を制御できている「大人」を象徴してると見ることができます。

そして、若者たちは敵の戦闘ロボット『ガンメン』を奪って戦っていくのですが、まさに本能を受け入れ、それを開放しながらエネルギーを使いこなしていく様を描いているとも見えます。

こうして若者は本能のもつ荒々しくも強力な力を利用して旧体制に対抗するのです。

青年期はここで終わります。

お手本のように正当な青少年のためのアニメだなあと思っています。
しかし私がグレンラガンに感動したのは、さらにこの後の段階でしたが、それは次回にまわさせていただきます。

お付き合いいただきありがとうございました。

よければ、次回もよろしくお願いいたします。

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