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「旅をする木」星野道夫

はじめに

「好きな映画は?」「好きな歌は?」「好きな食べものは?」と問われれば、私の答えはその時々で変わるし、瞬時には答えられないことが多い。しかし、「好きな本は?」と問われれば、移り気な私でも約20年変わらない答えがある。その答えが「旅をする木」だ。
写真家の星野道夫氏による、アラスカの自然、そこに暮らす動物や人々、自身の生活についてのエッセイである。もう何度読み返したかわからない。一言一句という訳ではないが、その内容もほとんど記憶している。「私の大好きな本だから」と友人に文庫版をプレゼントしたり、本文の中から文章を引用して大切な人へのメッセージに添えたり、自分の結婚パーティーの最後の挨拶のときにも、星野さんの言葉をお借りした。それくらい、私にとって大好きで大切な生涯の友のような本が、「旅をする木」なのだ。

本の中のどこを切り取っても好きなのだけれど、特に何度も何度も読み返している章が3つある。「ルース氷河」、「もうひとつの時間」、そして「アラスカとの出合い」だ。それらひとつひとつが、私に語りかけてくるもの、気づかせてくれたことについて、書いてみたいと思う。

「ルース氷河」

この章が私の心を捉える理由は明らかだ。なぜなら、ここに書かれているルース氷河へ行くために、私自身がアラスカキャンプに参加したからだ。と言っても、ここで星野さんが語っているこどもたちの中に私はいない。私がアラスカキャンプに参加したのは、星野さんが亡くなった後の話で、星野さんと一緒に行くことはできなかった。また、私が参加した年は天気の都合でルース氷河に入ることもできなかったのだ。ルース氷河へ行くためのキャンプなのに、ルース氷河に入れなかったというのは、本当に残念だった。悔しかった。アラスカまで来ているのに、すぐそこまで来ているのに、行けないなんて。星野さんが生前、日本のこども達に体験させてあげたいと感じた経験を私はできないなんて。と何度思ったことだろう。しかし、結果としては、ルース氷河に入ることはできなくても、オーロラや降るような星空を観ることはできた。当時高校生だった私にとって初めての海外、初めてのアラスカは、鮮烈すぎるほどの風景を私に見せてくれた。
そんなこともあって、この「ルース氷河」を読むと、自分が見て感じたアラスカの景色を思い出すことができるのだ。この章の最後に書かれている星野さんの言葉がある。

子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。

その言葉通り、あの時のアラスカの風景に、私は何度、慰められたことだろう。何度、背中を押されたことだろう。あの時の体験が、今の私を形作る大きなピースのひとつになっていることは、間違いない。

「もうひとつの時間」

星野さんは、子どもの頃から、自分が都会で暮らしている同じ瞬間に、別のどこかでは自然の広がりの中で野生動物が悠々と生きていることの不思議さを感じていたそうだ。また、アラスカの海で一緒にクジラを見た友人も、同じようなことを言っていたのだという。自身の経験や友人の言葉から、星野さんはこう述べている。

ぼくたちが毎日を生きている同じ時間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

私は今は専業主婦の身で、さほど慌ただしい生活をしている訳ではないけれど、何かと時間に追われることは多い。しかし、星野さんが言っていたように、自分があくせくしている同じ時間に、クジラは海で舞い、ヒグマは原野を駆け、オーロラが夜空をたゆたっているかもしれない。そう思うだけで、少し心にゆとりができるような気がするのだ。

そして私には、星野さんの言う"もうひとつの時間"とは少し違う、"もうひとつの時間"を感じることがあった。それは、"別々の場所に流れている同じ時間"ではなく、"同じ場所に流れている別々の時間"のことだ。
私は以前、奈良に住んでいた。私が住んでいた場所から数十分歩いただけで春日山原始林があったり、1300年前に建てられた東大寺があったり(もちろん、建物や大仏様は当時のものではなく再建されたものではあるけれど)と、悠久の歴史を感じられる場所がすぐ近くにあった。奈良でお気に入りの場所はたくさんあったけれど、その中でも特に私が好きだったのが、東大寺二月堂だった。二月堂から観る夕焼けが好きで、こどもたちと一緒に何度も足を運んだ。二月堂から、夕焼け空や暮れなずむ街並みを眺めていると、いつも不思議な感覚を抱いた。1番手前に良弁杉、その向こうには大仏殿をはじめとした東大寺各お堂の瓦屋根が見え、風景の奥には生駒山がそびえ、その間の奈良盆地には、街明かりが煌々としている。その景色は、もちろん1300年前と同じものではないのだけれど、そこで見る空の色、感じる風や音は、奈良時代から何も変わっていないんじゃないだろうか。令和に私が感じる風と、奈良時代に実忠和尚が感じた風は、もしかしたら同じなんじゃないだろうか、と密かに1000年以上前に思いを馳せていた。その時の私は、令和と奈良の2つの時代を感じていたのだった。そういうことを私が感じるようになった根底には、先述した星野さんの一節があると、自分では思っている。

「アラスカとの出合い」

人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。

冒頭で、結婚パーティーの挨拶の時に星野さんの言葉を引用したと書いたが、それがこの章のこの節である。私は、人と人との出会い、訪れる場所、タイミング、全てに意味があり、全てに何かの縁があると信じている。そう、私は自称"関係妄想家"なのだ。いつからそうなったのかは覚えていないけれど、もしかするとその源流は、この星野さんの一節かもしれないと、この文章を書きながら思った。
十代の星野さんは、東京神田の古本屋街の洋書専門店で見つけた一冊のアラスカの写真集に収められていた一枚の写真に、その写真に写っていた極北の村に、強く惹き付けられた。その写真との出会いが、彼の人生を大きく動かしていくことになり、そして二十年以上前経ったある日、偶然にもその写真を撮影したカメラマンに出会うことになったのだった。
私はそんなドラマティックな人生を歩んではいないけれど、それでも、日々の暮らしの中の小さな出会いに、なにか運命めいたものや因果を感じることはある。何十億年という地球の歴史の中で同じ時代に生まれ、何十億人という人の中で同じ場所に居合わせた誰かに出会えることは、本当に奇跡だし、ましてや、インターネット、SNSで世界中の誰とでも繋がることの出来てしまう時代だからこそ、その中での巡り会いに、意味を見出したくなる、ロマンを感じたくなるのは、ごく自然なことだと私は感じている。限りない無数の偶然のひとつひとつが、必然であると思いたい。だから私は、自分の大切な人ばかりが集まってくれた結婚パーティーでの挨拶として、出会ってくれた全ての人への感謝の気持ちを込めて、この一節を選んだのだった。

おわりに

私が「旅をする木」を読むタイミングは、様々だ。何年も読んでいなかった時期もあれば、一年の間に数回読み返すこともある。最初から最後まで読むこともあれば、ひとつの章だけを読むこともある。しかし、いつ読んでも、何回読んでも、どこを読んでも、この本は優しく私に語りかけてくれる。ささくれだった私の心に、穏やかな風を吹かせてくれる。強ばった私の気持ちに、柔らかい温もりをくれる。不安な私の迷いに、一条の光を照らしてくれる。そんな本と出会えたことは、私の人生における最高のギフトだ。
こう綴りながら、ふと、私はどうして「旅をする木」に出会ったのだろうと思った。私は自分でこの本を手に取ったのだろうか。いや、そうではない。アラスカキャンプに参加するにあたり、「旅をする木」を読んだのだと記憶している。そしてそのアラスカキャンプに参加したのは自らの意思ではなく、母からの勧めだった。アラスカキャンプに参加した青年の話を、どこかで直接聞いた母がいたく感動し、私にもぜひとも行ってきなさい!と言ってくれたのだった。なかなか高額な旅費がかかり、ほぼ初対面の人しかいないグループキャンプに、高校生の娘を一人で送り出してくれたのだ。自分が親になった今、考えると、なかなかすごいことをしてくれたもんだな、と思う。でも、それがあったからこそ、私は「旅をする木」やその他の星野さんの本や写真に出会い、アラスカキャンプを通じてかけがえのない友人と出会うこともできた。その後の出会いの中でも、星野さんをきっかけに話が弾んで仲良くなった人もいる。母が勧めてくれたアラスカとの出合い、星野さんとの出合いが、私の人生を豊かなものにしてくれたのだ。母さん、あの時、私にアラスカキャンプを勧めてくれて、行かせてくれて、本当にありがとう。十六歳のあの時だけでなく、結局いつだって、私は母さんに与えられ、導かれているのでしょう。私は、母さんと同じように、私の娘に何かを与え、導くことができるのかなぁ。とりあえず、彼女が十六歳になったら、「旅をする木」を贈ろうと思います。

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