今の日本人に必要なのは道徳心だと思う
道徳ということを最近はよく考えるようになってしまった。
徳を積む道で道徳。
人としての道を外さなければ徳を積めるということ?
小学校の授業で道徳という授業があったという記憶がありますが、どのような授業を受けたのかはあまり憶えてません。ちなみに文部科学省では小学校で使っている道徳の教科書がPDFファイルで閲覧できますが、とても勉強になります。いまさらだけど考え直すことが多いです。
道徳とは何だろう?
すぐに答えられる人って少ないと思います。私もよく判ってません。道徳って何か規範があるわけではありません。善いこと、悪いことの判断。自発的に善い行いができること。善い行いとは何かを理解していなければいけないし、善い行いというのは人それぞれ異なる面があります。言葉だけでは説明できないのが道徳。
だけど、言葉だけで説明ができないような難しい心の道標を日本人は昔から大切にしてきたんだと思います。その心のことは良心と呼ぶのだろうと思います。
良い心と書いて良心。
良い行いをしようとする心。
良い行いとはどういうった行いをすることなのか説明をしてほしいと言われると難しいです。例えば道を歩いていてゴミが落ちていたら拾うことは良い行いだろうし、電車に乗っていて高齢者に席を譲るというのも良い行いだろうし、誰かの手助けをしてあげることも良い行いだと思います。
言葉で言うと簡単。
それが、本当に実践できるのかどうか。
言うは優しい行うは難しい。
電車に乗っていて高齢者に席を譲ることは良い行いだと思うし、そういったことはすすんで行うべきことだと思う。でも、自分がそういった場面に居合わせたときに自分が良いと思っている行動を起こせるのだろうかどうか。
高齢者に席を譲ろうとしたら、高齢者の人が、ワシはまだ若いから立ったままで大丈夫だと言ってくるかもしれない。そして周りの人たちの目もあり、見られているという雰囲気から言い出せなかったりすることもあります、逆に晒し者になってしまったという有様になるのではないかという不安があったりもします。
自分だけが高齢者に席を譲ろうと考えているのか、周りの人達は見知らぬ振りをしている。知らぬ振りをしている人が多い中に置かれた、高齢者に席を譲ろうと思っている自分が間違っているのではないだろうかと感じてしまうこともあります。そんな空気の中で高齢者に席を譲ろうと声を出すことに勇気が必要になります。良い行いをしようとしているのに勇気が必要になるということが既におかしいと思うんですよね。
文部科学省の道徳教育 PDFファイルに記載されています。これを読んだときに胸が詰まりました。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/02/23/1302315_11.pdf
私だって大人だし、良い行いがどういったことか判ってます。だけど、何故か良い行いをしようとするときに勇気が必要なのだろうか? 当たり前のことをしようとしているだけなのに、悪い事をしようとしているわけでもないのに。
道徳心というよりも勇気が必要なのだろうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?