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振り返り その⑤

 本当はこの時期になるとワクワクしています。なぜかというと私の春はゴトゥコラとともに始まるからです。そう、南国生まれの彼らは日本の冬は苦手で、なんとか冬を乗り越え、春になると新芽をだしてきます。青々とした葉っぱに生命力を感じます。

ゴトゥコラが日本に自生してなかったら、それを海士町で見つかってなかったら、こんなにも長く私は日本に住んでいないとおもいます。

ある日、島のホテルに打ち合わせにいった帰り道、何か見覚えがある植物なようなものがあると思い、でもまさか、そんなわけがないでしょうと、半信半疑でよくよく近づいてみると「ゴトゥコラ」とよくにたものでした。

思わずその場で食べてみると、なんと、それが母国で毎日のように食卓に並ぶ、ゴトゥコラでした。うれしくなり過ぎて、仲間に食べてみせると、「なんで草くっている」の言われました。

その出会いから、島でゴトゥコラを栽培することになり、粉末にしてスープを作ったり、ゴトゥコラを食べる会を作って、いろいろなところで料理教室をやったり、していました。

ゴトゥコラのおかげで、たくさんの新しい出会いができ、その出会いが自分を成長してくれました。

ゴトゥコラは僕にとっての初めての「パラダイムシフト」だったわけです。それまでの考え方だったら、ゴトゥコラのことをよくしっている、スリランカ人やスリランカ人がやっている店に売るのが、普通の考え方ですがそこはあえて、「ゴトゥコラを日本の食卓に」というコンセプトで、野菜として、食べ物として、広めるという基準でやったから、面白かったし、新聞やテレビにも取り上げられてもらいました。私はゴトゥコラという素晴らしい植物もだけで、それに付随して、スリランカの食文化や島の暮らしも伝えたかったと思います。文化も価値観も違うもの、共有して共感してやることのチャレンジは中々なものでものすごい勉強になったし協力してくださった島の仲間にも今も感謝の気持ちしかありません。

そして、海士町からもってきた、ゴトゥコラが逆境を乗り越えて、辛抱強くいきている姿を見ながら、俺も頑張らないといけないなと思っている毎日です。

 そろそろ、復活したいな、ゴトゥコラ部



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