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2023年を振り返る・その2・扉を開けて、その先へ。

気持ちを整理したり、パソコンの中身を整理したり、棚を整理したりの、新春・断捨離中のボサノヴァシンガーKaren Tokitaです。うーん、はかどらん!

「振り返りその1」は、昨年出版したエッセイの締切後どんなふうに進んでいったのか、メイキング的なものを書きました。

出版や印刷関係の方々から、タイトル決めをはじめ工程について「わかる!!」の感想をいただきましたよ〜。みんな大変な労力を使って創っているんですね! 感謝感謝です。


その2は、改めていま思うことを。

首根っこ捕まえてやる、と思って生きてきた

幼い頃と若い頃の2度の性被害の心の傷。演奏の時に起こったことや、迷いながら自分の声をみつけたこと。突然決まった芸名に苦しんだこと。エッセイには色々なエピソードを書いています。(詳細はこちら

デビューして間もない頃にも、性被害のことを書こうと思ったの。周りの猛反対もあって止めたんだけれど、いつか役立てたかった。そうでもなければ人生に意味が見出せなかったし、いつか「こんなもの抱え込まなくてもいいんだ」って思えるようになりたかったから。

でも、あの時じゃなくて良かったと思う今です。少しも癒えていないうちに表に出して、心ない言葉がきたら、きっと耐えられなかった。今も別に頑丈なわけじゃないけれど、今だったんだな、って。

エッセイを書く。もし、この選択肢を選ぶことでもっと苦しくなったら、その時は歌をやめよう。本を書けるなんてことは一生に1度あるかないかかもしれない。お話しをいただけるのならこれはもう、意地でもやろう、と思ったの。見えない不安はあれど、選択に間違いはないでしょう? いつか正解になる日がくると、いつも信じているから。
もちろん、ずっと突破したかった自分のその先を、期待もしました。

オビの文面は「イメージついちゃうかもしれません、本当に大丈夫ですか」とギリギリまで河出書房の編集者、河出さんも心配してくださった部分。でも、辛くなるかもしれない人には読むのを無理しないで欲しくて、わかるようにとその単語を入れてもらったの。自分のイメージはどうでも良かった。いつだって、どれだけまっすぐ生きても、誰かから見れば曲がっているのだから。とはいえ、いざ形になったらやっぱり不安にはなりました、ちょっとだけ……いや、なかなか。
けれど心配は無用だったみたい。

「極力、短く」「読み手の想像力にもっと任せて」「誤解を恐れないで」
そんなアドバイスをいただきながら、あれこれ言いたくて詰め込んでいた原稿から大幅に削りました。心を削り出す作業のようだったな。

何度も読み返してる、と言ってくださる方が多くてとっても嬉しいのだけれど、わたしね、実はピンと来てなかったりしてたの。「コレを解れー!」という気持ちで書いていなくて、「わたしはこう考えてみたんだ」って、ベクトルが少し内向きだからかもしれない。「そうでしょ!?わかるでしょ!?」じゃなくて、「なにか感じてもらえて嬉しいな」って胸がいっぱいになる感じだからなんだなって、いま気がついたよ。

インスタのストーリーにあげてくれたり、本を持って会いに来てくれたり。
励まされたって言ってもらって、わたしもその言葉に励まされてる。ありがとう。


一気に大きく前進するのが辛いなら無理をしないで、ちょっとずつ進もう。それはいつか積み上がって、気づいたらちゃんと進んでいるから。そうやって生きてきたから、明確なものをハッキリと持たないでいた気がします。
自分のことなのに、いつも少しだけ自分から距離を置いて、どこか人ごとのように物事をキャッチしてきたし、傷つくのが怖くて防御力ばかり上げて、重い鎧に走りたくても走れなかった。

自分だけが特別つらい経験をしたと思っているのではないの。
友人たちにも同じような経験をしてる人も多いし、だれでも様々な苦しみを抱えながらいるのを知ってる。わたしの個人的な話ばかりだけれど、これが誰かの、心の棘を少しでも溶かしてくれたならいいな…‥。

女性からも男性からもたくさんメールをいただいて、いろんな角度から読んでもらえることに自分の視野も広がりました。

これは発売後の河出さんの言葉。わたしはこのコメントがとっても気に入っています。「首根っこ掴もうと、」って、そんなふうに人生の時間のほとんどを使ってきたから。この怒りの元はどこから来ているのか。この悲しみの元はどうしたら消えるのか。どうしたら幸せな気持ちで人を愛せるのか。
何年も、何年も。

出版後、掘り返した反動か、苦しくなって改めてカウンセリングを受けたりもしました。落ち着くのに少し時間がかかったんだけれど、ようやく、トラウマやどこかで植えられた価値観、そういうものの首根っこ、掴んだみたい。

向き合い続けた自分の心。

コントロールされていた心、着込んでいた鎧。
コントロールの潜む人間関係。
コントロールしようとしている自分、その原因。

時間が経つにつれて自分を縛るものが、ボロボロと剥がれ落ちていきました。


12月が後半に入ったとき、「いい1年だった」「幸せな1年だった」と、ことあるごとに言っている自分に気がついたの。あれれ、なんだか元気だぞ。秋ごろは、ニュートラルではあるけれど、出し切って心がどこかぽっかり空いてしまって「演奏休みます」ってお知らせしたくらいだったのに。

いつの間にか、心が満ちていました。

わたしの幸せは……

幸せを探すのは得意。小さなことに気づけばいいだけ。
空が綺麗なこと、美味しくご飯が食べられること。生きていられてる、それだけで幸せはじゅうぶん手にしていると分かってる。それでも癒えなくて、もがいて。

心を殺された日から、生きるために自分を殺したあの日から、わたしはやっと解放されたんだ、と気がつきました。自分の感情を大切にしても本当は傷つけられないのだと分かることが、できた。

ほんとうに、つい先日のことです。
思い出せないほど何気ない瞬間に、心と体がぬくもりに包まれているのをフワリと感じて。あれ、なんだか今のわたし、とても柔らかいなあって。

ああ、わたしは自分の心と体を取り戻すことが出来たんだ

そんな風に、安らいだの。
わたしの中の世界はこんなに穏やかだったんだなぁ……。

文字で、言葉で。心を掘り出して

最初は傷口を開くようで辛かったけれど、何度も掘り返して、見つめて、削ぎ落として、表に出した、自分を形成してきた一部のこと。もちろん楽しいだけの原稿もあったんだけど、書く作業は閉じていた心を開けて、光を入れてくれたみたい。(6年くらいカウンセリングも受けて、あと少しという頃だったからね、いま苦しいかたは絶対無理しないでね)

なかったことにはならない。許せるものではない。それでも楽になれたのは支えてくれた人たち、一緒に泣いてくれた人たちがいたから……。悲しみや苦しみに覆われた日も、いつかは自分の愛しみに変えられる日がくると信じてきた。もう無理だって思う日もたくさんあったけれど。

その出来事が良かったものになるのではなくて(それは許せない事実だからね)自分の苦しみやもがいた時間を、傷ついたのだという自分を、受け止めて愛しむことができたらと……
ずっとどこかで、自分のことも責めてきたから。

気がついたら抱えていたものは、ちっちゃくなって、やっと遠いところへ置いてこれたよう。ときどきオバケみたいにヒューっと近づいてくる事があるけれど、しっしと追い払えるくらい。

好きな自分も、好きじゃない自分も、ちゃんと感じられること。
そのことが、いまとても幸せです。当たり前のことなのかもしれない。けれどわたしには、もう一度、命をもらったような気持ちなの。

探し続けたのは、
恐怖や悲しみや怒りに覆われていない、“自分”。

これから先、何かを手にしても、しなくても。
強くいられるときも、強くなれなくても。

大丈夫。

ちゃんと自分の心で、ここにいる。

この先に何もなかったとしても、

やっと進んで行ける。もうなんの鎧も着ずに。

わたしの心はここにある。

それがなにより欲しかった、"幸せ" だったの。

先はいつでも見えないから、
これからも、一歩ずつ。

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