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なごや じゃなくて、なごの。(2)

会いたい人に会いに行く旅@名古屋、パート1はこちらから。

これは、南伊豆のゲストハウス・ローカル×ローカルで出会った人と再会するために、名古屋に行った時の記録である。
前回書いたのは、那古乃(なごの)地区を歩き、自分には「生業(のようなもの)」をもつ人への、憧れ的な何かがあると気づいたところまで。

今回は、ローカル×ローカルのゲストと同期との再会から。



ローカル×ローカルのゲストと同期との時間は、あっという間に過ぎていった。
2ヶ月前に宿のバーカウンターで、わいわいがやがや喋っていたあの感じ。バーカウンターの端っこから見ていた景色と、今、名古屋で楽しそうに話す彼らの姿が重なった。

「またねー!」と手を振り、わたしはひとり円頓寺商店街に戻った。
夜の商店街は、昼間とは全く異なる表情をしていた。静かで、明かりはアーケードに吊るされたライトくらい。このシックな雰囲気もなんだか好きである。

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歩いているのはわたしだけ。でも、不思議と殺風景さは感じなかった。
きっとそれは、一つ一つのお店の奥で暮らす人々の温度が、にじみ出ていたからだと思う。

もしかしたら、単純にわたしが「きっとこのお店の奥にはおうちがあって、今ごろ寝る支度をしたり、テレビでドラマを観ているんだろうな」とか、勝手な妄想を繰り広げて、勝手にほっこりしていただけかもしれない(笑)。

どっちにしろ、見知らぬ土地へ行った時、そこで暮らす人の日常が垣間見えると、わたしはあたたかい気持ちになる。



2年前、高校の吹奏楽部で同じパートの同期と集まったことがある。

クラリネットパートのわたしたちは、全員が地元・浜松を離れていて、5人みんなが揃うのは、卒業以来初めてだった。USJで遊んで、京都に住む子の家に泊まり、翌日は着物で京都観光をした。
そのとき、同期の1人が、ぽろっと口にした言葉がある。

「5人が集まるとどこでも浜松になる」

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この言葉がすっごく好きだった。自分じゃ上手く言葉にできないけれど、確実に感じている、この懐かしさと嬉しさを、ものの見事に表してくれたのである。「言い得て妙」とはこういうことを指すのだろう。

さっき、名古屋の居酒屋と南伊豆のバーカウンター、それぞれから見えた景色を重ね合わせていたように、
2年前のあの日も、わたしは、高校時代の5人と、見た目だけ(?)ちょっぴり大人になった自分たちを重ね合わせていた。



翌朝、「喫茶ニューポピー」へモーニングに行った。なごのやのスタッフさんオススメの喫茶店で、なごのやで使っているコーヒー豆の焙煎も、喫茶ニューポピーが担っているそうだ。

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蔵のような外観と、レトロとモダンが調和した空間の虜になったのは言うまでもない。
でも、わたしは、店長さんにも感動していた。一挙一動がとっても紳士的なのである。お辞儀する時に一旦止まる、とか、小さなことかもしれないけれど、こういう動作は、相手の印象に少なからず影響を与えるんだなと実感した。事実、今でもその店長さんのことはよく覚えているし、「とっても身のこなしが素敵でした」、とか、ひとこと言っておけばよかったと後悔しているくらいである(ちょっときもい)。

前回のnoteで、その人に、その仕事が馴染んでいる「生業(のようなもの)」が素敵に見えると書いた。ニューポピーの店長さんも、そんな感じがした。

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古さの中に、新しさが、嫌味なく溶けこんだ空間だった。喫茶ニューポピーも、なごの地区そのものも。


次は熱海へ。あのお方に会いに。

るんるんしながら新幹線の改札を通ろうとしたら、前日買った特急券が期限切れになっていて、改札機に通せんぼされた。がびーん。

そんな、すったもんだから始まった熱海への旅も、濃ゆーい時間となった。続きはまた後で。



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