どこが深くてどこが浅いかは、話し手にしかわからない[西村佳哲さんのワークショップ参加記録/1日目]
2023年5月、西村佳哲さんのワークショップに参加した。兼ねてからずっと行きたかった企画なので、ここで感じたことや考えたことは記事に残しておこうと思う。
この記事は、初日夜の時間で気づいた「きき手が聞きたいこと」と「話し手が話したいこと」について。
夜ごはんを食べたあと、隣同士ペアを組み「今の動機」というテーマで対話した。
1組8分。
以前別の場所で似たことをやったけれど、今回もやっぱり慣れなくて、ぎこちない。録音には、途中話がぷつっと切れた時に「どうしようかな、、」とつぶやいている自分の声も入っていた(笑)。
でも、相手の言葉を純粋に繰り返したり、相手の心にあるカルシファーを探して、捉えようとするさまは確かにあった。
お、これまで学んできたことを実践しようとしてるじゃん、いいじゃんいいじゃん。
参加者同士の対話が1周したあと、今度は西村さん(以下ニシさん)がきき手、わたしが話し手として、同じテーマで対話した。時間はさっきのほぼ倍、15分。
でも、一瞬で過ぎた感じがした。
ニシさんがきき手になったときと、参加者のひとりがきき手になったときでは、話し手としての感覚がけっこう違った。
ニシさんがきき手になるときは、自己内省が進む感覚がある。
「あ、わたしってこう考えているんだ」と気づく。
今回は、「カレンさんは、自分に対しては<自己信頼>というか長期的に希望をもつけれど、他者に対してはそうじゃないんだね」とニシさんに言われて、はっとした。たしかにそうかもしれん、と。
そう言われると「なんでわたしはそう考えているんだろう」と気になって、自分なりの仮説がさらさら口から出ていった。こうだからだと思う、ああだからだと思う、と話しているうちに、15分経った。
その後、この対話をきいていた参加者が、こんなことを言っていた。
「さっきの僕は、与えられたテーマに対する答えを自分なりに仮説立てていて、それを確かめるための質問を話し手にしていて。でもニシさんは、テーマから少しずれた方向に対話がすすんでも、逸脱しすぎなければいいだろうという佇まいできいているように見える」
「自分がききたいことの中に、相手が話したいことの根幹があるような気がするから、自分がききたいことから離れていくのがちょっと(怖い)、、」
わたしは、
どこが深くてどこが浅いかは、話し手にしか分からない、と思う。
なんなら、話し手さえ気づいていないことだってある。
わたしの世界では「自己信頼と他者への期待」という場所がけっこう深くて、でも自覚はなくて、ニシさんに言われた時に気づいた。
きき手はたぶん、きき手が広げたい道すじをなぞることを思い切ってやめてみることが必要な気がした。
話し手のどこにカルシファーがいるか分からないし、どこが深いのかなんて、話し手の世界の地図なんて、きき手は持っていないんだから。
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