見出し画像

LINEブロックについて思うこと。

わたしには、LINEの友だちにブロックされていないか定期的に確認するという、悲しい癖がある。

わたしにこんな惨めな癖をつけさせたのは、
マッチングアプリだ。

冒頭で書いた癖を厳密にいうと、
LINEの『友だち欄にいる、マッチングアプリなどで知り合ってメッセージや電話をしたり会って親しくなったりしたけど、付き合っていない人』にブロックされていないか定期的に確認する
が正しい。

マッチングアプリのいいところは、
普通に生きていたらすれ違うことのなかった人生を歩んでいる人
と出会えることだ。

稀なケースを除けば、
共通の友だちもいないし、出身校や職場だって違う。

だから、相手と自分の繋がりは、1対1。

友だちといる相手の姿を知らない、
職場で働く相手の姿を知らない、
ひとりでいるときの相手の姿を知らない、
知っているのは、わたしといる相手の姿だけ。

そんな状態から関係性が始まる。

これがマッチングアプリの“いいところ”であり、
“恐いところ”でもある。

相手と接してみて、
「合わないな」
「面倒くさいな」
「嫌だな」
「好きになれないな」
「連絡とりたくないな」

どんな理由であれ、もういいやと思ったら、
マッチング解除かブロックをすれば、
もうその人とは一生関わることがない。

友だち経由で連絡がくることもないし、
学校や職場で顔を合わせることもない。
だから「気まずい」なんて気持ちは一ミリも味わうことがない。

つまり、マッチングアプリで知り合った相手は、どれだけ親しくなろうが

「ブロック」というボタンひとつでいつでも切れる関係なのだ。


「ブロックされた」という事実は、
「もう二度と関わりたくない」という意思表示であり、
どうあがいても、その事実に他の解釈はない。

そんな現実を突きつけられると、
息ができないほど苦しく、悲しくなる。

「そんな思いをするなら、ブロックされてるかなんて確認しなければいい」
というド正論が聞こえてくるが、そうもいかないのが人間というものだ。

逆に言えば、
「ブロックひとつで切れる脆い関係性なのにブロックされていないということは、またいつかどこかで連絡をとったり会ったりしてもよい関係性である」
ということになり、そこに安心感を見出してしまうのだ。
(完全に書いていることがメンヘラ女子…)

何回かデートして気になりかけた相手から
なかなかLINEの返信が来ないなあと思ったら、
ブロックされてないか確認する。

ブロックされてなければ、
仕事が忙しいのかな?などと考えて待ったり、
折を見て追いLINEをしたりする。

それでも返信がなければ、
また不安になってブロックされてないか確認する。

…こんな無限ループを繰り返して、
精神を消耗させて、メンヘラ化していた。

そんな相談を大学時代の友人にしたときに、
ある言葉をかけられた。

大切な人(友達、家族、彼氏)だったら、絶対そんなことしない。ちょっと連絡しにくい時期があってもブロックなんてしないで時間が解決するのを待つ。

厳しい言い方だけども、(〜省略〜)相手のこと考えないでこんなことする人、〇〇(わたしの名前)の友達におる?

刺さった。

骨の髄まで刺さった。
全治3ヶ月の傷を負った気分だった。

だって、真理なんだもの。

LINEの友だち欄にいただけで、本当の友だちではない人
だったから、簡単にブロックなんてできるんだ。

だから、
ブロックしてくる人に心を掻き乱されてるなんて、時間も心ももったいなさすぎる。

この友人の言葉で、目が覚めた。

ブロックしてくる人は、所詮その程度の関係性。
そんなブロックという行為に振り回されずに、
自分のことを大切にしてくれる人に時間も心も使っていこう
と思えた。

正直、わたしもLINEの友だちをブロックしたことはある。
それに、LINEのブロックは必ずしも悪いことではない。
(嫌がらせやモラハラや望まない勧誘を受ける場合など、ブロックすべきケースもある)

だけど、誰かをブロックするという行為は、
「もう二度と関わりたくない」という意思表示であり、
相手もその事実を確認できるということを、忘れないでいたい。

相手がその事実を知ったとき、少なくともいい気はしない。
その時の相手の気持ちまで想像したうえで、その先の行為をするのか、しないのか、考えたい。

そしてわたし自身は、
わざわざブロックしてくる人なんかに振り回されないよう、
悲しく惨めな「ブロック確認」という癖とお別れする。

大切な人は、必ずそばにいてくれるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?