窮鼠日記49 タップリン先生の思い出(ミクシィに過去に書いた日記)
2007年10月10日18:28
昔、関西を代表するドグサレ大学に在籍してた頃、英語の講義でアラン・タップリンという老先生に学んだことがあった。
この講義は全部英語で行われ、学生も日本語を使わんように、と指示され、タップリン先生の話を聞き、その話に関して質問したり、ディスカッションするゆうような内容だった。
タップリン先生の話ゆうのは、ほとんどが旅行譚であった。『ワタシは、若い頃船乗りでした。いろいろな国を訪れたんだ。今日はモロッコに行った時のハナシをしよう!』とか、『今日は南アフリカに回航した時のハナシをしよう』とか、とにかく若い頃に行った国にまつわるハナシばかりだった。船乗りを辞めてからも外国探訪は続いてて、その時も日本で大学の英語講師をやってるのだから、外国巡りの人生を送り続けているということだ。
どでかい蛇に襲われたとか、時化に遭って沈没しかけた船でギリギリ生き延びた話とか、アフリカの未開の地で、まだ少年のような年の酋長に、歓待された話とか、講義は魅惑的な内容で、我々学生は先生の冒険譚を訊くのを楽しんでいた。
しかし、二十歳そこそこだった自分は何となく不思議に思ったので、10回目くらいの講義で、『タップリン先生は、何故、そんなにいろいろな国に行ったのか?』と質問した。
その質問を聞いたとき、常に笑顔を絶やさなかったタップリン先生が、唐突に雷にうたれたみたいに驚いた顔をして、少し間をおいて厳粛に言った。
『その、質問は、ワタシにとっては、とても重要な質問だ。
私はこれまで、数え切れないくらい他国を訪問した。それは何故なのか?
それは簡潔に、正確に説明できるものではない。だが、敢えて答えるなら、それはデスティニーだ』
試験に出る英単語に載ってたので、デスティニーゆうのが運命いう意味やというのはわかったけど、タップリン先生自身の、その時胸に去来した想いというのは今でもわからないままだ。
タップリン先生は試験受けなくても単位くれるというので人気が高かったが、そのため講義欠席する学生も多かった。あの時現場にいた学生は15,6人だったが、今でもそのことを覚えてる人はいるだろうか?
あの時の、タップリン先生の驚いた顔は今でも忘れられない。
What is your destiny,Mr.Taplin?
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