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汝、海のごとく

 自由って一体なんだろうか。
 お金があること、時間があること、将来の心配をせずに安心して生きられること、人によってそれぞれ意見はあると思う。

 先日本屋に立ち寄る機会があり、凪良ゆうの「汝、星のごとく」という本が目に止まった。あらすじを読むと、僕がどうしようもなく惹かれてしまう瀬戸内海が舞台になっている恋愛小説のようで、気になってしまいそのままレジに進んだ。勝手に、穏やかな瀬戸内で繰り広げられる恋愛模様を期待して。

 でも実際には、人が一人の人間としてどう生きていくことが幸せなのかを問うそんな物語だった。登場人物のそれぞれが、足掻き、藻掻き、苦難を乗り越えた先の苦難のその先で、自分なりの「自由」を掴み取る、そんな物語だったのだ。

 物語に殴られたような気分になったのはいつぶりだっただろうか。日曜の朝に読み始め、世界に入り込み、その夜には一気に読み終わってしまった。読み進めるたびに自分の人生を振り返り、自分の内面と向き合わされた。ページを捲るたびに心のドアをどんどんと叩かれ、訴えかけられているようだった。

 作中でこういうやり取りがある。

 『今、ひとりで生きていけるくらいには稼いでいます。そうなりたいって願った自分になれました。なのにどこにでも飛び立っていいと言われると心細くなります。』
 『それはそうでしょう。人は群れで暮らす動物です。だからなにかに属さないと生きていけない。ぼくが言っているのは、自分がなにに属するかを決める自由です。自分を縛る鎖は自分で選ぶ』
 『矛盾してませんか。不自由さを選ぶための自由なんて』
(中略)
 『何度でも言います。誰がなんと言おうと、ぼくたちは自らを生きる権利があるんです。ぼくの言うことはおかしいですか。身勝手ですか。でもそれは誰と比べておかしいんでしょう。その誰かが正しいという証明は誰がしてくれるんでしょう。正しさなど誰にもわからないんです。だから、きみももう捨ててしまいなさい。もしくは、選びなさい。』
 捨てる。選ぶ。意味は違うのに限りなく近いふたつの言葉。わたしはなにを捨てて、なにを選べばいいのだろう。親、子供、配偶者、恋人、友人、ペット、仕事、あるいは形のない尊厳、価値観、誰かの正義。すべて捨ててもいいし、すべて抱えてもいい。自由。いざ目の前に出されたそれは、思い描いていたものよりもずっと広く深く果てがない。海のようなそれを、わたしはこれからひとりで渡っていくのだ。とてつもなく怖くて、踏み出す足が震えそうだ。

 これは人生の大きな岐路に立つ主人公の暁美に対して、恩師である北原が背中を押すシーンだ。自由とは自ら意思を持ち、選択することにほかならない。その選択の結果や責任は自分自身に返ってくる。さらに現実では選択肢は二択ではなく無限大にあり、海を渡りゆくような面であったり、深さとして垂直方向にも立体的に広がっている。その途方もなさに、暁美は怖気づいていたのだ。それでも暁美は北原の言葉に押され、自分の意思で一歩を踏み出すことを決意した。

 その後、新たなスタートを切った暁美は
 『過去は変えられないと言うけれど、未来によって上書きすることはできるようだ。とはいえ、結局一番のがんばれる理由は「ここはわたしが選んだ場所」という単純な事実なのだと思う。(中略)正直言うと、つらいときもある。わたしは世界を救えるスーパーマンではない。けれどこのつらさはわたしが選んだものだ。(中略)自分がなにに属するかを決める自由。離れていても北原先生の言葉は、ほんのりと足下を照らす灯火のようにわたしを導いてくれる。』
と言葉を残している。

 自分が選んだ先が必ずしも幸せとは限らない。むしろ多くの苦難が待ち受けていることもあるだろう。しかし自らを生きるために決断した選択を後悔することはないのではないだろうか。人は自由を求め生きる生き物だ。自ら選ぶことが自由そのものであるならば、選択した結果よりも自由意志をもって選んだという事実こそが何よりも大切で、自らの生を生きるために必要な原動力となるのだろう。

 自分を縛る鎖は自分で選ぶ。たとえその先に不自由さが待ち受けていたとしても、その鎖を選んだのは自分だ。その鎖が繋がっている先が友人かもしれない、家族かもしれない、恋人かもしれない。それでも、不自由さを全て受け入れる覚悟を持ってその鎖を選び取ると言うならば、これを愛と呼ばずして何を愛と呼ぼうか。

 私事ではあるが、あと数ヶ月で最愛の人と結婚する予定だ。引っ込み思案で、人見知りな彼女ではあるが、私がこれまで出逢った誰よりも惹かれ、同じ時間をできる限り長く過ごしていたいと思えるそんな人だ。付き合い始めてから今年で3年、最初に告白してからはもう5年の付き合いになる。初めの頃は自分の気持ちを正しく彼女に伝えることができず、すれ違いばかりしていた。でも少しずつ、自分の気持ちを素直に伝えられるようになり、彼女も次第に心を開いてくれるようになった。そうして長い時間をかけて、ゆっくりと二人の関係を大切に育んできた。お菓子作りが好きなこと、綺麗好きなこと、僕と同じようにお出かけや旅行が好きなこと、彼女の笑うツボやぼそっと言う一言が可愛くて面白いことも今では知っている。彼女の笑顔はまるで陽の光を反射してキラキラと光っている瀬戸内の海のようなそんな笑顔で、どうしたって惹かれてしまうのだ。

 それでももちろん彼女と僕とは別々の人間で、彼女には彼女が望む生き方がある。共に住むことはできないかもしれないし、子どもについてもどうなるかは分からない。また、この先にはこれまで生きてきた以上の時間が待っているのだ。性格や考えだって移ろいゆくだろうし、これまで気がつかなかったような合わない点だって見えてくるだろう。彼女が病気になる可能性もあるし、彼女の家族が助けが必要な状態になるかもしれない。将来、自分の思う生き方とぶつかってしまうことは必ず出てくるだろう。それでも僕は、自らを生きるために、この鎖を選ぼうと思う。

 この航路で本当に良かったのか、迷うときがいずれ訪れるかもしれない。晴れの日だけではなく、荒波で転覆しそうに思えるときがあるかもしれない。でもその時はどうか思い出してほしい。僕は自らを生きるため、自らを縛る鎖を選んだではなく、その鎖の先に繋がる錨ごと手に取りこの海に降ろしたのだということを。この海と、彼女と生きることそのものを選んだのだということを。

2024.7.7 記

 この文章を読んで、もしかしたら僕が自信たっぷりに人生を切り開こうとしているように思うかもしれない。でもそれは違う。むしろ真逆なのだ。この3000文字の文章には僕の迷いや、怖れがたっぷり染み込んでいる。少し蒸し暑い夜に、ひとりきりで、やみくもに文字を吐き出さずにはいられないほど不安でいっぱいなのだ。

 作中で、暁美が憧れを抱く存在である瞳子は暁美に対してこう言った。
「(わたしは)強いんじゃなくて、愚かになれただけだと思う。どこ行きかわからない、地獄行きかもしれない列車に、えいって飛び乗れるかどうか。必要なのは頭を空っぽにする、その一瞬だけ。」

 たぶん僕に、僕たちに必要なのは、将来についてあれこれ深く考えることなんかじゃなくて、頭を空っぽにする勇気、心のままに未来に飛び込む勇気なんだろうと僕は思う。どうか一緒になって、その一歩を踏み出せたらと強く願っている。

2024.7.10 追記


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