本編未視聴の俺がエウレカセブンハイエボリューション1と2を見に行った話(ネタバレあり)
交響詩篇エウレカセブン。
言わずと知れた名作だが、俺はテレビ版も劇場版も何も見てこなかった。
俺はロボットものは好きだがエヴァンゲリオンはあまり好きではないタイプのオタクで、エウレカもエヴァと同じくくりの作品だろうと決めつけていたからだ。
だが、エウレカセブンハイエボリューション1が公開された時、エウレカ好きの友人に映画を見に行かないかと誘われて、俺は改めてエウレカがどのような作品なのかを調べてみた。
設定やテーマにはあまり興味が沸かなかった。しかし、アシッドハウスや村上龍、トレインスポッティングに影響を受けている点には興味があった。
だから、俺は友人とハイエボ1を見に行った。
うーん、面白い。
特に俺は時系列のシャッフルが効果的に使われていたところと、Hardfloorの曲が気に入った。あとエウレカが可愛かった。
しかし、シアターを出たあとの友人の反応は芳しいものではなかった。
Twitterでの感想も酷評の嵐だった。
これほど世間と俺との間に感覚の差があるのかと改めて俺は思い知らされた。
そして驚いたのが、映画の文句を言っているほとんどの人間がエウレカ本編のファンで、俺のようなニュービーがほとんどいなかったことだ。
ハイエボはファンのための映画で、一見さんお断りと言わんばかりの雰囲気があった。
とはいえ、俺としてはお気に入りの作品であることには変わりないので、ハイエボ2の公開を俺は心待ちにしていた。
そして2018年11月。ついにハイエボ2は公開された。
俺は再びエウレカ好きの友人と映画館へ向かった。
今回も俺はあえて本編を観ていなかった。
1を観たあとに、友人に本編を観ていないとハイエボは楽しめないと言われたことへの反発もあった。
だが、何よりも、俺には本編を観ていないと全く楽しめないような話の作りを制作陣はやってこないだろうと俺は思っていた。
根拠はない。しかし俺の勘はよく当たる。
期待を胸に、映画は始まった。
(ここから先はネタバレがあるので注意)
うーん、よくわからん。でもめっちゃ面白い。
はっきり言って設定周りはよくわからなかった。
ハイエボ1を観てから時間が経っていたのもあるが、そもそも俺はエウレカセブンという言葉が何を意味しているのかもよくわかっていなかった。
もっとも、俺は設定よりキャラクターや話の構造に興味があったのでその辺りは全く問題にならなかった。
そして、キャラクターや話の構造はとても魅力的だった。
まずキャラクターについて語ると、本作の主人公アネモネがとても可愛かった。
ハイエボにおけるアネモネはごく普通の女の子だ。両親が早くに亡くなっていたり、友達がAI以外にいなかったりもするが、それは普通の範疇と言って良いだろう。
そんな彼女には人類最後の希望という重すぎる責任がのしかかっている。
これはガンダムやエヴァといった有名作品だけでなく、かなり多くの作品で用いられる設定で、目新しいものではない。
しかし、ハイエボのアネモネはメンタルが安定しているという点で他の作品のキャラクターとは異なっている。
これはアネモネをケアする周囲の大人たちがまともだったこともあるが、彼女が大人と子供の中間であったことが大きいのではないかと思う。
作品の冒頭で、作戦進行に気を揉む大人たちにアネモネは、上手く行く気がするから大丈夫と明るく言い放つ。
何故この発言で大人が喜ぶかと言えば、それはアネモネのいる世界で起きている超常現象は科学でどうにか出来ることではなく、事態を解決する鍵は大人でなく特別な能力を持った子供が握っているからだ。
となれば、門外漢の大人としては当事者の子供が大丈夫といえば大丈夫と信じるしかない。
しかも、アネモネはこの発言の後でこういうことを言っておけば大人は喜ぶと言ってのけるのだ。
自分が子供であることを客観視出来て、それを意識的に利用する彼女は大人になりつつある。
しかし、一方で作戦に関する説明を受けている間イヤホンで曲を聴いているのもまた彼女だ。
カッとなって暴力に訴えるところも子供時代から変わっていない。
このように、アネモネは子供と大人の両方の側面を持っていて、そして両方の長所が物語を良い方向へと動き出させる。
大人だから、途中で任務を投げ出すようなことはしない。
子供だから、人類の希望という重圧を全面的に負う必要がない。
このバランス感覚がアネモネが潰れずに済んだ理由の一つではないかと思う。
多くの作品では大人と子供の悪い部分を発揮して加速度的に事態が悪化していくのだが、アネモネがそうならずに済んで本当に良かった。
そりゃマスコミも奇跡の美少女として祀り上げるわ。。。
そしてハイエボ2のもう一人の主人公、ドミニクもとにかくかっこよかった。
アネモネがいくらメンタル面が安定していると言っても、基本的には普通の人間で、1人で出来ることには限界がある。
そんな彼女を支えるのがドミニクだ。
作中ではアネモネのスマホにインストールされた教育アプリとしてのドミニク(以下アプリドミニク)と、アネモネの父親と共に敵と戦っていたAIのドミニク(以下ドミニク)が出てくる。
アネモネはアプリドミニクを頼りにしていて、日常的に彼と会話をしていた。
とはいえ、このアプリドミニクはかなりデフォルメされたデザインをしていて、AIとはいっても自我を持っていない。
それでもアネモネはアプリドミニクが父親が残したものということもあり、かなり愛着を持っていることを伺わせている。
しかし、作戦でアネモネが右も左もわからない別世界に行った際に、肉体を持ったドミニクが現れ、混乱するアネモネを導き、どう戦えば良いかを教える。
こんなイケメンでベタな登場普通するか!?(謎の怒り)
昔からずっとつけてたマスコットが「実はイケメン王子様でピンチに貴女を助けます」的な!? 少女漫画か!? チクショウ!
と、俺は映画を観ながら謎の怒りと興奮を覚えていたのだが、そりゃアネモネも恋に落ちるわと妙な納得もしていた。
この後もアネモネが別世界に行く度にイケメンムーブをしてくるので俺はその度に乙女ゲー原作のアニメを観る時のようにワオワオ楽しんでいた。
俺がワオワオしていたんだから、きっと当事者のアネモネはドミニクに会う度にワオワオしていたんじゃないかと思う。
下世話だが、こういうイケメンが側にいたからこそ、アネモネも戦いの日々の中で壊れずに済んだのだろう。
そして、エウレカセブンという作品のキーパーソン、エウレカも前作と違う一面を見せている。
ハイエボ1を観た段階では、レントンがとにかくエウレカを好きで好きでしょうがないのだと俺は解釈していた。
しかし、ハイエボ2でレントンが死亡したことが明らかになり、エウレカは人類を滅してでも彼を生き返らせようとする。
そういうのっていいよね。。。
ここまでエウレカが強い情動を持っているとは思わなかったし、そんな彼女が人類を守る側のアネモネと敵として衝突するのも面白い。
さて、いよいよ物語の構造について話すのだが、ハイエボ2はボーイ・ミーツ・ガールという古典的で非常にシンプルな物語だと俺は考えている。
一人ぼっちのアネモネがドミニクと出会い、別れ、そしてまた出会う。それがハイエボ2だ。
複雑な設定やメタな演出はあるが、俺はそういうものはこの映画の側面の一つだと思う。
少年少女の恋愛や友情は最高のエンターテイメントだからだ。
もっとも、普段の俺は「恋愛……。フッ、所詮は未熟者の抱く幻想よ」と童貞をこじらせているのだが、ハイエボ2を観たおかげで今の俺は恥ずかしいことでも平気で言える。
物語の話に戻ろう。
人類が絶滅しそうなだけあって、全体的に作中の雰囲気は暗い。窒息しそうな程とにかく出口がない。
そんな暗い雰囲気を打ち破るのがボーイ・ミーツ・ガールだ。
基本的に恋心は+のパワを持っているので、物語が過剰に-に落ちていくのを防いでくれる。
しかし、終盤でドミニクがアネモネをかばって二人は離れ離れになってしまい、物語は-へ傾いていく。
陰謀を企てるキリストめいた男、派閥や組織といった大人の事情、そして孤独。
これらの要素が論理的には反駁出来ないが、何か破滅的な出来事へと繋がりかねない作戦の決行へとつながっていく。
視聴者が感じていた通り、作戦は人類を救うどころか謎の怪物を目覚めさせてしまい、敵と戦うための手段もなく、アネモネを助けてくれる人は誰もいない。
その状況に陥って初めてアネモネは父から教わったどうしても助けて欲しい時に言う秘密の言葉を叫ぶ。
そして、その声に応えてドミニクが現れる。アネモネがやりたいことをするための力を携えて。
アネモネはエウレカの話を聞くためにドミニクと共に飛ぶ。
いやー、完璧だ。
まず、父親から教わったどうしても助けて欲しい時に言う秘密の言葉を、今まで一度も言わなかったアネモネがカワイイ!
だって、人類最後の希望だの、奇跡の美少女だの言われてたら普通心は病むし、もっと早くにその言葉を言いたくなるでしょう。
でも、アネモネは最後の最後の、いよいよ打つ手がない状態までその言葉を口にしなかった。
これって本当に心が強くないと出来ないことだと思う。
人は追い詰められると何かに依存してしまいがちだし、それは決して悪いことではない。
しかし、アネモネは自立していて、依存することを良しとしなかった。
だからこそ、そんな彼女のSOSに応えて現れるドミニクのイケメンっぷりも際立つ。
どうやって現れることが出来たのかは正直よくわからないが、多分イケメンだから来られたのだろう。
というか、心から助けてと叫んでる人のところに馳せ参じないのは最早イケメンではない。
しかも単にイケメンなだけでなく、アネモネの望みを叶えるための力までちゃんと持ってくる。出来る男だ。
ここで今まではどうしろああしろとアネモネを導いていたドミニクが決断をアネモネに委ねるのもエモーい。
さっきまでは誰か導いてと嘆いていたアネモネが、即座にエウレカに会いに行くという決断をするのも最高だ。
ここまでアネモネがたどり着くのに多くの人命が失われているので、もしもアネモネが大人だったらその責任故にエウレカを殺して世界を救うという選択肢しかなかっただろう。
だが、アネモネは大人ではなかった。
彼女は子供で、責任が免除されているからこそ、エウレカと話し合いをするためにイケメンと共に飛ぶことが出来るのだ。
その先の展開は今までの曇天が嘘のような爽やかさだった。
心の底を打ち明けるアネモネとエウレカの姿が子供なのも印象的だし、ジブリチックなコミカルさで二人が元の世界に戻ろうとするのも好きだ。
そして何より、吹き飛ばされそうになったエウレカの手をアネモネが掴んだ時、その姿がレントンと重なるシーンが俺は大好きだ。
今まで自分の手を掴んでくれるのはレントンしかいないと思っていたエウレカが、レントン以外にもこうして自分のことを心から思ってくれる人がいると知ることが出来て、本当に良かったと思う。
ボーイ・ミーツ・ガールならぬ、ガール・ミーツ・ガール。素晴らしい。
と、ここまで色々と書きなぐって来たが、俺が一番伝えたいのは
「エウレカセブンハイエボリューション2はシリーズ未視聴者が観ても面白い!」
ということだ。
先程も言った通り、俺は設定周りのことが何もわからない。
でも、それだって作品を楽しんで良いのだ。
だって、これはエウレカセブンハイエボリューションという新しいシリーズなのであって、本編とは違うのだから。
もちろん、過去作を知っていれば違う鑑賞の仕方も出来るだろう。
でも、ハイエボは俺のような本編未視聴の人間でも楽しめる見方があるということはどうか知っていて欲しい。
一つの作品でも、楽しみ方は一つではないのだ。
メイクマネー、したいのさ。