察してほしいことが多様化する中でどうするか
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【軟水のたそがれ】
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毎週日曜日の夜に更新しています!
この【軟水のたそがれ】は、
僕がTwitterで毎日更新している「#軟水のつぶやき」を、深掘りするエッセイ。
新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)
・・・本日取り上げるツイートは、⇓コチラ!
さっそく深掘りしていきましょー!
■察してもらうことの気持ちよさ
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相手が求めていることを『察する』のは本来とても優しい行為で、その出発点は「相手のためを想って」の行為だったはず。
「自分の気持ちを察してもらうこと」って、とても気持ちがいいですよね(^^)
察する側も、それが相手のためになったことを実感できると嬉しいし、お互いが気持ちよくなる。
ただ、それが日常的になってくると、察してもらうことが当たり前になってしまったりさ。
あの人は察してくれたのに、あなたは察してくれないんだね?と、別の人にも同じ扱いを求めるようになったりさ。
「察してもらった気持ちよさ」があったからこそ、不自然に求めてしまう。
そこへ上下関係やマンネリ関係が重なることで、『察しろ!』と求めだしてしまう。
大切にしたい相手のことを想って、「自然と察する気持ち」が働いて、それが相手のためになるからこそ、お互い気持ちがいい。
だけど、察しろ!と言われて、察することを強制されてしまったらさ?
「この人はこういう時にはこうしておけばいい」っていう、マニュアル的な察し方になってしまうんよね。
・・・それって、本来求めていた『察しろ』ではなくない?
マニュアル的な察し方をされて、ホントに気持ちいいの?
と、僕は思うんす。
だからこそ、周りに察してもらうことを期待せず、たまに察してもらえたらハッピー♪くらいでいた方がお互いに楽かなと(^_^;)
■不自然な察し方しか返ってこない
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また、普段から周りの人の気持ちを『察すること』を心がけている人もいますよね。
その行為はとても優しいんだけれど、 その人だからこそ陥りやすいこともある。
「普段はこっちが察しているんだから、こっちの気持ちも察してほしいな。」
と、周りに対して『察してよ!』と求めてしまうこともありますよね。
(僕は昔からそうでしたね汗)
普段の自分は、とても注意深く目の前の人のことを観察して、気持ちを察しているのにもかかわらず、相手は自分のことをちっとも見てくれない。
その不満が溜まりに溜まって、『察してよ!』と感じてしまう。
・・・そこで、「他人の気持ちを察するなんてムダ!損するだけ!」と、自分や他人のことを否定してしまうことも、あるかもしれない。
でもせっかく『人の気持ちを察する力』があるんだからさ?
もう少し心を軽くしてさ?
「他人の気持ちを察することができない人の気持ちを察する」というところまでいっちゃえば、楽になるんじゃん?
と、僕は思うんす。
一瞬は、自己犠牲的に聞こえてしまうかもしれないけれどさ?
「自分の気持ちを察してもらうことを求めて他人の気持ちを察している」と、『不自然な察し方』しか返ってこないんよね。
そんなものを貰っても、結局あまり気持ちよくないはずだからさ。
自分を守るためにも、自分は察するけれど、周りから察してもらうことを諦めるくらいが丁度いいなぁと思います(^_^;)
■【さいごに】時代のせい
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日本は昔から、和を尊重するために『察する文化』を大切にしてきた。
それは「自(おのずか)ら然(しか)と察する」ことで、相手への思いやりが伝わったはず。
その根幹は、男には、女にはこうすべきみたいな「世間の常識」とは正反対にある。
世間は関係なく、「目の前の相手」がその時どうであるかを、自分で観察するからこそ、察することができる。
・・・そして世の中に情報が溢れてくると、みんなそれぞれ「察してほしいこと」が違って、多様化するから、察し方が分からなくなってくる。
そんな現代では、世間の常識よりも、とにかく目の前の人をよく観て感じることが大切だと思うんよね。
居酒屋の接客をしているとあるあるなのが、男女ペアのお客さんで生ビールとカシオレを頼まれて、生ビールを男に出したら間違ってたパターンのやつね。笑
昔だったら、その接客対応が正しかったはず。
だからこそ、「この男女ペアはこういう関係なんだなぁ」って察して、対応の仕方を柔軟に変えると喜んでもらえるよ(*^^*)
・・・こんな感じで、現代において他人の気持ちを察することができない(察する精度が落ちる)のは、わりと『情報過多時代のせい』もあるんよね。
みんなやることがコロコロ変わっていくから、お互いの間で当たり前だったことが、すぐに当たり前じゃなくなっていくから。
その中で相手の気持ちを察するためには、相手のことを一端、全部肯定してみるしかないと思うんよね。
『自分の中にいる相手のイメージ』を日に日にアップデートしないとだから、大変だしね(^_^;)
・・・というわけで!
周りから察してもらうことは諦めつつ、自分が抱いてる常識を疑って、目の前の人のことをよく観察しましょー!
そこにこだわってしまうと、ホントに「相手のためになる行為」はできないと思うんす。
というたそがれでした!
読んで頂きありがとうございます(*^^*)
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