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なぜ今、社会は夜なのか

現代の音楽シーンでは、"夜"が1つのトレンドになっていると感じます。

YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)、ヨルシカなどが、若い世代を中心に大人気。

■2017年デビューの「ヨルシカ」

ヨルシカの由来は「夜しかもう眠れずに」

■2018年デビューの「ずっと真夜中でいいのに。」

歌詞の一節のようなこのアーティスト名には、「僕らをすべて黒く塗りつぶす」という意味もあるそうです。

■2019年デビューの「YOASOBI」

昼とは別の一面を示す「夜の顔」を表現し、遊び心を感じられる音楽を作りたいという想いがあるそう。

曲のタイトルに「夜」を想起させる音楽は、昔からたくさんありますよね。

さらに、ビジュアル系やインディーズ系のバンドが「夜」や「night(ナイト)」を冠したアーティスト名にすることも以前からありました。

けれど、アーティスト名そのものに"夜"を冠し、なおかつ大ヒットを飛ばしているというその社会背景に、僕は興味があります。

YOASOBI、ずとまよ、ヨルシカの音楽を聴いていてると、それぞれに共通するモノを感じる。

それは、『世間的な正しさに抵抗したい』という、意志のような想いのような、青くほとばしる感情です。

"正しくなくてもいい"時間が、夜しかない。

"自分だけのスキ"を思う存分表現できる時間が、夜しかない。

学校や仕事中の昼間は、とにかく正しくなきゃいけない。

世間や親、友達からの目線をキョロキョロと気にして、「自分は正しいかどうか?」を損得勘定し、昼間をやり過ごす。

だけど夜は、暗闇に身を潜めて周りから見えなくなる。

その時にやっと、世間からしたら『正しくない』かもしれないコト、自分の中から涌き出る『スキ』なコトに、正直でいられる。

つまり現代は、正しくあることに駆り立てられてしまうのですね。

だからこそ、今の社会は夜を求めているのだと思います。

・・・かくいう僕も、周りからの目をキョロキョロと気にして、相対的な正しさを享受する日々を過ごしています。

ただ、昼間の生活に身を馴染ますその一方で、夜が更けてから明けるまでの時間に、自分の"スキ"をどう表現できるか?に重きを置いています。

僕が夕暮れ時や朝陽が昇るまでの時間をスキなのは、その時だけは「(世間的に)正しくなくてもいい」から。

自分だけの『絶対的な正しさ』に浸っていたいから。

感情が枯れてしまわないように、また涙を滲ませられるように、心が干上がる前に満たしたいから。

…ただし、独りの夜は暗くて寂しいです。

自分のスキなコトへ夢中になっていれば夜なんてすぐに過ぎるけれど、スキな"人"に会えない夜は、自分だけの正しさも分からなくなってしまいます。

僕は自分の感性を大切にしたかっただけで、独りでいたかったわけじゃない。

昼の明るい社会で「僕はこう感じた」と思っても、世間からは「こう感じるべきだ!」と駆り立てられてしまうから、暗い夜に隠れていたいだけなんです。

僕自身がありのままに感じたことを、「わかる!そう感じたんだね〜」と共に感じてくれる相手がいるのなら、独りでいる必要はないのです。

そうして自分だけの"スキ"に夢中で、ひたすら夜を駆け巡っていると…

他者と溶け合うこと、感性を交えることを忘れ、いつの間にか独りになってしまいます。

「自分は独りでいたかったんだ」と、まるで最初からそう望んでいたかのように、夜の煙に巻かれ錯覚してしまうのだと思うのです。

夜を駆けたその理由は、自分の感性を大切にしたかった、ただそれだけなのに…

明けない夜はないというけれど、たとえ明けたとしても、『正しくあること』をもっと強く激しく求められる昼がやって来るかもしれない。

だからこそ、自分だけの"スキ"に埋もれて独りになってしまうその前に、夜を共に駆け巡る仲間やパートナーが必要なのだと思います。

深い夜に覆われた社会を越えるために、視線を合わせ共に感じる機会を作っていこうと、そう強く誓おう。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするフォトエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

社会心理学の観点から、感じたことを綴っています。

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています!

ゆらりときらめく水鏡のように
他者の魅力を鮮やかに彩る存在でありたい




























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