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僕は安心より信頼を選び抜く

僕らは安心感を得ようとするあまり、「人を信じ頼る力」を失ってしまっているのだと思う。

信じ抜くことで育まれるパワーを、甘く見てしまっているんだ。

安心できる状態とは、確実なことしかない状態のこと。

もしも、目の前にいる相手が何をするのかが予測可能であれば、「相手を信頼すべきかどうか?」という問題は生まれない。

つまり、他人に騙されてひどい目にあう可能性が全くないような安心できる状況では、他人を信頼する必要はないということ。

日本は『安心安全な国』といわれるけれど、それは「自分と相手が同じであることを確かめた時に、はじめて得られる安心感」がもたらすものだ。

そうした同調圧力の根底にあるものは、己の不安を払拭したいという気持ち。

自分と違う考えを持つ人がいたり、新しいことを学んで今の自分を変えなければいけない状況に置かれた時には、自分を安心させようとして、周りへ同調を求めてしまいがちだ。

それは他人のことを信頼していないからであり、何より、自分自身のことを信頼していないからでもある。

現代の日本人は「自由になるために、より多くの安心感を得ようとしている」ようなフシがあるけれど、どれだけ安心しても、自由を得ることはできない。

各々が安心感を確保しようとして方々に忖度を繰り返し、周りから様々な同調圧力をくらうはめになり、個々人の自由はどんどん阻害されていくからだ。

周りを信頼しようともせず、自分の安心感を得ることに奔走し、自由を狭めるような行動を選択しておきながら、「生き辛い世の中になったなぁ」と自らの不自由さに嘆き、より自由に生きている他者を道連れにしてその自由を奪おうとする。

僕は、そんな不自由な生き方、御免こうむる。

信頼することを、選び抜く。

信頼するということは単なる「お人好し」ではなく、他人と協力し合い様々な人間性を学ぶことで、社会の中で生きやすくなるという処世術だ。

…時に、変化の激しい時代において、不信に払うコストはべらぼうに高すぎる。

現代はエンタメコンテンツが多様になったことで、例えば「この人知ってる?」と、有名YouTuberや人気のタレントさんの名前を友達から言われても、「いや、知らないなぁ」と感じる機会が増えているはずだ。

情報量が多くなったこの世の中で、「何を信じるか?」に割く時間的な余裕はあまりない。

そこは友達を信頼して、「あなたがオススメしてくれた人だからチェックしてみるね」と行動するだけで、自分の世界が広がるということは多々ある。

信頼することで、自由の幅を広げることができるんだ。

「自分のことしか信じられない」

・・・そんな世の中なんて、寂しすぎる

見たいものだけしか見ない、感じたいことしか感じられないなんて、不自由だ。

例えば、僕が大好きな絵本『えんとつ町のプペル』の中で、「信じぬくんだ。たとえひとりぼっちになっても」というセリフがある。

主人公のルビッチは、空には光輝くホシがあるんだという希望を信じ抜いた。

ただしそれは、ルビッチが自分自身を信じ抜いたことに加えて、「空にはホシがあるんだよ」と言っていたお父さんの言葉を信じ抜いたということでもある。

”自分だけ”を信じたわけではなく、”父の言葉”を信じ抜いたんだ。

そこには当然、不安がつきまとうだろう。

けれど、僕らが信じることを止めてしまったら、自由や希望は遠ざかるばかりだ。

『他者を信頼すること』が与える影響というのは、僕らが思っている以上に大きなもの。

信じ頼られることは、生きる活力になるから。

だからこそ僕は、安心より信頼を選び抜く。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

本日は↓コチラの本を参考にしました。


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【軟水のたそがれ】
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