スキが重なる瞬間を何度でも
現代は、スキが多様化している。
ひと昔前のように、「日曜日の夜8時は皆があのTV番組を観る!」というような習慣も減っているはずだ。
個々人がピントを合わせるチャンネルが多様化しているから、「昨日のあの番組観た?」と仲間に聞いても「いや、観てない」と返ってくる確率が、昔よりはるかに高い。
他者との間で、共通の話題を持ちにくくなっている。
地上波のTV、Netflix等の有料配信、YouTubeや各種SNS、漫画や書籍や音楽など…
僕ら1人1人の好みに最適化されたコンテンツが増えたことはハッピーだけれど、一方で、自分の心に深く刺さったものが、身近にいる人にも同じように刺さるとは限らない。
僕は、母が好きな俳優の名前を聞いても「誰?」と思うし、姪っ子が好きなYouTuberも「誰?」と思うし、毎日のように会話している友達が好きなTikTokerも「誰?」と思っている。
知らないのに、知ったかぶったり、相手の調子に合わせて同調するようなことは、したくないのだ。
和して同ぜず。
反対に、僕が好きなYouTubeのチャンネルや映画の話をしても、「ふーん」と思われていることだろう。
自分がスキなものを独りで楽しんでいる間はハッピーだけれど、周りに共感を求めようとした時に、なかなかスキが重ならず、寂しくなることもある。
・・・ただし、寂しいことだけじゃない。
これだけ色んな情報が溢れた中でも『スキが重なる瞬間』は必ずあって、その相手が側にいるのなら、それは本当に奇跡的なことだから。
現代人が1日に受け取る情報量は江戸時代の1年分に相当するとも言われていて、自分の”スキ”と、より深く向き合うための時間を取ることが難しくなっているはず。
だからこそ僕らは、スキが重なる瞬間をもっともっと大切にすべきだし、自分がスキなものを発信し、相手がスキなものを受信し、再びスキが重なるまで、何度でも交わり続けることが必要なんだと思う。
・・・もちろん、「スキなものが全て同じになる」なんてことは、ありえない。
スキが重なったことでつい嬉しくなって、「だったらこれもスキでしょ?」と共感を求めだすと、また寂しさがやってくる。
どれだけ相性がよくても、どれだけ親しい関係であっても、好みが分かれるのは自然なこと。
むやみに共感を求めてしまうと、相手にウソをつかせ、相手から嫌われないように、自分にウソをつき、不自然な関係になってしまう。
「あの時のスキは重なってハッピーだったけど、ここは重ならなかったね。だけど、きっとまた重なるところがあるから、一緒に探し続けよう。」
…こんな姿勢が大事なんだと思う。
相手と「同じことを感じて」いなくたって、別々のことを「共に感じて」いれば、それでいいんだ。
その先にはきっと、『和』があるはずだから。
・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)
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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするエッセイです。
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