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畦を頼りにして

人と人が関係を育む際の流れは、水と土の関係に似ている。

土のごとく心が渇いた時に、水のごとき潤いが注がれることで、幸福感がこぼれ落ちる。

おかげ様で、また渇くまで、流れ続けることができる。

しかしそれは、風呂上がりにビールを飲むような快楽だ。

その幸福感に際限はないから、またすぐ欲しくなる。

渇きは、留まることを知らない。

一度潤ったことで、他者へと潤いを注ぐこともできるけれど、いずれ渇き、また潤いを欲する。

こぼれ落ちた潤いをすくい上げるように、快楽を欲し続けてしまう。

ただし、水と土のような僕らの関係性が『水田』に変わると、そこには”豊かさ”が培われる。

水田は、一定の大きさに囲われ、その中で水と土が豊かな土壌を育んでいく。

さらに、地盤沈下や洪水を防ぎ、土の中にある栄養分が流れ出ないようにする機能もある。

囲いの中から外へは流れ出ないからこそ、潤いが巡り、互いを満たし合うことができる。

干満が循環し、幸福感が溢れ出す。

溶け合うことで強固になり、沈むこともなく、急激な変化に流されることもない。

そして、土の中に浸透した水はしだいに濾過され、清らかになってゆく。

水田のような関係において、僕らの心は安定し、純粋さを取り戻すことができる。

たとえ干からびてしまいそうになっても、時間をかけて培われた土壌には、豊かさが潜んでいる。

だから、大丈夫。

ふとした気づきで、幸福感が湧き上がってくるから。

「渇いた心を潤す」という行為は、1人1人で快楽を感じきり、すぐに終わってしまう。

こぼれ落ちた幸福感は、また渇いてゆくから。

一方で、「干からびた心を満たし合う」という行為は、他者と共に享楽へ耽けることができる。

パートナーの表情から幸福感が溢れ出る姿を目にした、その時。

共に、心を滲ませることができるから。

その関係性には、『信頼』がある。

踏みしめた大地が決して沈まぬことを、僕らが信じているように。

川の水がどこまでも流れていくように、僕らは『共感』という潤いを求め続け、やがて漂流してしまう。

その水をせき止めるのが、土の役割だ。

共感という潤いは大事だけれど…

信頼という満たし合いを始めることで、より豊かになれるのだと、僕はそう思う。

不安な夜を乗り越えるために、共感という刹那な安心感を選ぶのではなく、信じて頼ることを選び抜きたい。

…朝陽を待ち侘びて。

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他者の日常を想像し、共に、非日常を創造したい。

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・・・読んでいただきありがとうございます(*^^*)

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『孤独な夜が明け、いざ朝を迎えようとしている君へ。』

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