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積極的な慎ましさで想いを汲み取っていく

注いでも注いでも、渇いていくものってな〜んだ?

・・・その答えは”愛情”だと、僕は思う

きっと僕らは「愛情を注ぐことで相手の心は潤うはずだ」と、そう思いたいんだ

自分の心が渇いていればいるほどに、愛おしい人へ愛情を注ぐことで、無意識に自分の心を潤そうとしてしまう

相手のために優しさや思いやりを与えるという、その愛情を行動で示すことで、自分の心が温かく潤っていくような実感を得られるからね

ただしその時に一番大事なことって、その愛情を受け取ってくれた相手の心が「本当に潤ったかどうか?」だ

・・・愛情の本懐はきっと、注ぐことではなく『汲み取ること』にある

愛情とは、「愛おしい(いとおしい)」と感じたその時に、心の底から湧き上がってくる激しい感情

その”情”にどれだけの熱がこもっていようが、どれだけ激しかろうが、その情を抱いた一瞬一瞬において、対象者との間に双方向な関係はない

「この人は運命の人だ!」と奇跡的な出逢いに遭遇した時や、我が子を心から愛おしいと感じるその時でさえ、その際に抱く愛情は一方的なもの

しかしながら、そんな一方的な愛情にも、双方向性が芽生えて、お互いの情が混ざり合う瞬間がある

それは、愛情に穏やかなぬくもりが宿り、愛おしいと想うその相手がコチラの愛情を汲み取りやすくなった、その瞬間だ

激しさのこもった愛情には熱がこもっているからこそ、相手が汲み取る必要もなく、すぐに伝わってしまう

だけれど、そのアツアツさゆえに伝わりすぎてしまい、いずれはお互いの心を渇かしていくことだってある

・・・愛情の本懐はきっと、注ぐことではなく『汲み取ること』にある

相手が求めていない愛情を注ぎ続けても、本当に望むものが注がれなければ、心は渇いてしまい、さらに愛情を渇望し続けるはずだ

愛情とは、その激しさゆえに愛しさが溢れて、時に切ないものでもあるんよね

僕らはその切なさに溺れてしまうこともあるけれど、いくら溺れても、心は潤わずに渇く一方だ

「コチラの愛情を汲み取ってくれよ!」と相手に求めてしまうから

けれど、相手が求めるものをコチラから汲み取るというしなやかな姿勢の先には、しっとりとした潤いがあるはずだ

汲み取ろうとするその”愛情”を示すことが、お互いの間に潤いを注いでいくからね

「愛するということ」は…

激しい愛情を穏やかに整えて、さざ波のようにいつか届けと願うような、そういった積極的な慎ましさのことなのかもしれない

と、日本海を眺めながら僕はそう感じた

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
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世の中の動きに流されるのではなく、「主体的に流れること」を大切にしたい

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