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誰といる時の自分が好きですか?
"自分"とは、どこにあるんだろう?
僕らは、自分を見失ってしまった時ほど、自分を探そうとする
だけれど、そういった有事ではない普段の自分は、いったいどこに存在しているんだろう
もしも自分が「自分の中」にあるのなら、自らを見つめ直し、深く向き合うことが大切になってくるはず
一方、僕らが自分探しを始める際の行動の1つとして、旅に出たり、新たな出会いを求めるという手段を選ぶことも多い
それはある種、「自分の外」へ飛び出して、新たな自分を見つけようとする営みだ
・・・結論を言ってしまえば、自分の中にも外にも"自分"は存在しない
自分が存在する場所は『自分と他者の間』である
と、僕はそう思っている
人間は「人の間」と書くくらい、他者との交流を重ねることで、自分が「何者であるか」が規定されていくような、間柄的な存在だ
例えば初対面の相手と会って、最初はぎこちなかったとしても、会う回数を重ねるごとに、新たな一面が見えてくるということは多い
それって、「相手の中」からその人自身が突然現れた!という感覚とは少し違う
相手が「こんな自分を見せてみようかな!」と自らをさらけ出してみたり、こちら側の話の聞き方や醸し出す雰囲気によって、相手の自分らしさが自然と引き出されていくような、そんな感じ
共に育んできた関係性が、個々の自分らしさを醸成していくような、そんなイメージだ
だからこそ、「自分が何者であるか」とは、『目の前の相手にとって自分はどんな人間であるか』と同義で、自分が誰と接しているのかによって、わる者にもなればくせ者にもなるし、勇者になることだってある
・・・もう一度言うけれど、自分が存在する場所は『自分と他者の間』である
それを前提とすると、例えば「自分を見失ってしまう時」とは、他者の中に自分の姿を確認することが全くできない時だし、関係性を育むことを忘れてしまっている時だ
いわゆる「若者がグレる現象」って、わる者が世間から見放されてしまうのではなくて、世間から見放された人がわる者にされてしまうのだと、僕は思うよ
僕らはどうしたって、自らの負の感情を他人に投影してしまう生き物だ
「私はあの人のことが嫌い」と感じていれば、知らぬ間に「私はあの人に嫌われている」と思い込んでしまう
たとえその嫌いな部分が相手のごくわずかな一面であったとしても、まるでそれが「相手の存在すべて」かのように、忌み嫌うものだ
・・・自分が、自分と他者の間に存在するように、目の前の相手だって、『相手と自分の間』に存在している
まずは他者を自分の中に入れようとしなければ、もしくは自分が相手の中に入ろうとしなければ、他者を見失ってしまうし、自分のことすらも見失ってしまうだろう
(ちなみに)
心理学における『投影』とは、自分の衝動や資質を認めることができず否認したくなる時に、自分自身を守るため、それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働きのことを指します
だからこそ、もしも『自分探し』をしたくなったのならば、目の前に現れた他者と向き合うことから逃げてはいけない
その人と関係性を深める過程で、自分とその人の間に新たな自分が見えてくるし、忘れていた自分を思い起こすことだってあるからだ
・・・ここで突然だけれど、最後はB'zの『LOVE PHANTOM』という曲の歌詞で文章を締めくくってみようと思う
ふたりでひとつになれちゃうことを
気持ちいいと思ううちに
少しのズレも許せない
セコい人間になってたよ
欲しい気持ちが成長しすぎて
愛することを忘れて
万能の君の幻を
僕の中に作ってた
いらない何も捨ててしまおう
君を探しさまようMy soul
Stop the time,shout it out
我慢できない 僕を全部あげよう
・・・Love Phantomを日本語にすると、『愛の幻影』
僕らは自分を頑なに譲らないことで自分を主張しようとしがちだけれど、それを続けるうちに、自らが『そうであってほしい相手の姿』を目の前の相手に投影してしまう
それが幻影となって目の前に立ちはだかり、相手のことも自分のことも、全く見えなくなってしまう
そうなってしまうくらいなら、自分なんて無くていいと、僕は思う
愛をもって自らを捧げれば、相手が自らを分けてくれて、自分が形作られていく
その時にはまた、決してその自分に固執せず、移ろいゆく自らを全て受け入れ、新たな自分を探していけばいい
他者との出会いによってどんな自分と出会ったとしても、恐れず受容していく姿勢が、大いなる自己肯定へと繋がっていくはずだ
そして新たな出会いだけではなく、『誰といる時の自分が好きか?』がきっと大切で、そういった時間を日常に多く設けることが、自分や他者を愛することへ繋がっていくのだと、僕は思う
・・・今週も読んでいただきありがとうございます(*^^*)
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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!
新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)
水はあらゆる流れに身を投じることができるし、自ら流れを作ることもできる。
世の中の動きに流されるのではなく、「主体的に流れること」を大切にしたい。
そんなおもいを込めています。
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