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自然のなかに身をおくということー自然案内人として伝えたいことー

最近ずっとnoteが書けずにいます。
10行くらい書いて何が書きたかったのか分からなくなる。
何回か繰り返してたら1ヶ月も経ってしまいました…。
おもいのままに文章を書くのって難しいですね。


先日ネイチャーゲームのリーダー講座があり自然案内人としての資格を取りに行ってきました。これから自然をたくさんの人に紹介したいなあと思っています。

早速、ネイチャーゲームを何人かでやってみる機会をもらったので淡路島の森の中で遊んでみた。ネイチャーゲームには「聴覚・視覚・触覚・嗅覚」に絞って自然と遊べるゲームがたくさんある。

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音を感じるゲームにしようと、親を決めて(目隠しをした人)親以外の人は親の持っている宝物を取りに行くというゲームをやってみた。結局、宝物が奪えた人はいなかったのだが…。

あとから「乾燥した落ち葉は予想以上に音が鳴るから、宝物は取りに行けないよ。音に焦点を当てることが適切だったのかな」「締めの言葉がないよね」というフィードバックをもらった。

確かにそうだ。
みんな宝物にありつけることができなくて、おもしろくないなと思うかもしれないし、結局ネイチャーゲームってなんなのと思われるかもしれない。よく考えないといけないなと感じた。

でもきっと私が伝えたいことは勝ち負けの世界とか、正解を探すということではない。
―落ち葉はどんな音がするのかな
―乾燥しているから音がしやすいな
―狩りをする動物はどんな感じで獲物に近づいていくのかな
―目隠ししているとこんな風に聞こえるのか

そういう自然に対する興味を持ってもらいたいのだ。


効率的に仕事を回して…
常にいい結果を残して…
きっと日々そんなことばかり考えなくてはいけない。

自然を通して伝えたいことは、あなたはどんなことに興味があって、どんなことを感じるのかなのだ。それは効率的に仕事をすることよりも大切なことのような気がしている。なにを感じたか公言する必要はなくて、すぐそばにある自然をとおして自然の中にいる自分の声に耳をかたむけてほしいと、そう思うだけなのだ。

周りの音に耳をかたむけてみる。ただそこにある音に。
鳥のさえずりや木々がこすれて奏でる音に
人だけでない生き物の息づかいに気づかされる。
そうすると自分の息づかいも聞こえてくる。
存在している、私もこの中の一員なのだと気づかされる。


私が自然の中にいたいと思う時は、自分一人で生きているような気になるときだ。
なにも言わずそこにある自然は色んなことを教えてくれる。
もともと全てが繋がっているのに、分断しようとするからつらく苦しくなってしまう
私は人間関係だけではそれを感じることができず、分断したくなってしまうことがある。
だからたまに自然にふれることで、少し助けてもらうことで改めて気づかされる。

自分一人で生きていけてるなんて傲慢なんだよねーって。
忙しさに隠れているけど、そこにいる自分は好きな自分なのー?って。


ネイチャーゲームは
・森の特性、状況
・参加者の年齢や性格
・参加者はどんなところに住んでいるか
などでプログラムを急遽変更する場合がある。かなりの確率で。

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自分がその森のことを知ること、参加者のことを知っておくこと、一人一人がどんなことにおもしろさを感じているのか観察することがとても大切だなと感じた。伝え方、ひきだし方課題は山積みである…。

この森とこの参加者ならどんなことをしたらお互いが表現しあえるだろう。
そんなことを考えてワクワクと少しの緊張感を体験したデビュー戦(笑)だった。お付き合いいただいた皆さんありがとうございました。


実家の庭でアカガエルが鳴き始めている。
寒い時期に産卵するアカガエルたちは、一度冬眠から覚め産卵したあと、もう一度冬眠する「二度寝するカエル」だ。
そろそろ冬が明けていくのかもしれない。
四季も時間も教えてくれる自然は素晴らしいな、最高!
とダニに噛まれて自然の恐怖を体感していても思うのだからこれからも懲りずに森に入っていくんだろう。

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