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noteから一旦離れてみようと思います

私にとって、noteは苦痛を感じる場所になってしまいました。

日に日に気持ちは重くなるばかり。一旦離れなきゃと思いました。

そう決めるまでがつらかったです。よくしていただいた皆さんの顔(交流)が思い浮かんできて。

これまで、皆さんのおかげで居心地よく過ごせていたのに、それが当たり前のようになってしまっていたから…逆のことが起きたのかもしれませんね。「当たり前のことではなかったんだよ」と。


先日、初めて「如何ともし難い違和感」を覚える方とやり取りしました。短い期間ではありましたが。どんなところに違和感を覚えたのかというと、大きく分けて次の3点です。


● 執拗さ

通知を開くと、スキやコメントがほぼその方からという日がありました。数時間おきにしてくださったようで、ある記事についてのコメントは午前と午後の2回にわたっていて。表現が適切ではないかもしれませんが、つきまとわれているような感覚になり、正直、気持ちのいいものではありませんでした。

好意的に受け取れなかった要因は、コメントの内容にもあったと思います。そのときいただいたコメントもさることながら、それ以前にいただいたコメントも、私の中では引っかかるところがあったからです(第三者的に見れば大したことではないのかもしれないのですが)。

なので、いくらスキやコメントをいただいても、逆に粗探しをされているような、何かを探られているような、そんな気持ちになりました。


● コメント欄で自分の考えをとうとうと述べる

過去にも、そういう方がいらっしゃったのですが、まずは否定的な言い方から始まるんですよね。たとえば、「〜は悪いですか?」「(〜に対して)侮辱することになりませんか?」といった具合に。そして、自分の考えをとうとうと述べられる。

「はい、あなたのお考えは分かりましたよ」としかならないんですよね…討論番組じゃあるまいし、noteのコメント欄でムキになって主張するという感覚が理解し難いんです。
私は、自分とは違う意見に遭遇したら「この人って、こういうふうに考えるんだ。賛同はできないけど、参考にはなります」ってスルーしてしまうタイプだからなのかもしれませんが…(考え方は違っても、新しい視点が得られるなど学びがあるならば話は別です)。

そもそも、コメント欄は主張の場ではないと思っています。「己の主張は己の場所ですべし」という考えなので。それと、ほかの方のコメント欄に関しては、その方の大切な作品の一部として捉えています。あくまで私見ですが。


● 思い込みで話される

勝手な思い込みで「こうだ」と決めつけて話される方だなあとは思っていたのですが、最後にいただいたコメントはひどいものでした。ひどいといっても、誹謗中傷の類ではありません。それどころか、何のわだかまりもない人にとっては「親切」という印象さえ受けるかもしれないです。

けれど、私の中では完全にアウトでした。一旦noteから離れようという決定打になりました。

*****

ここ数日、被害者意識丸出しで過ごしていたのですが、この記事を書くことで少し冷静になれた気がします。

「人のふり見て我がふり直せ」

素直にそんな言葉まで浮かんできました。これをいい機会と捉え、自分自身を見つめ直したいと思います。noteとの向き合い方、もう一度よく考えてみたいと思います。

なんていって、しれっと2〜3日後には戻っているかもしれませんが(おいおい、そりゃないぜ)本日をもって、一旦noteライフを終了したいと思います。

いつもご覧いただきまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m✨

寒暖差の激しい時期、体調など崩されませんようどうぞご自愛ください。


〜追伸〜

一旦離れると言っておきながら未練がましいのですが…この記事を書いていたら、皆さんの記事は読ませていただきたいという欲が出てきてしまいました😓時々おじゃまさせてくださいm(_ _)m✨
コメント欄を含め「書くこと」を控えたいと考えています。


コメント欄に書けなかったので、こちらですみません!

『天使さん、パスをいただいていたのに⚽️ごめんなさい。不勉強すぎて分からないです(笑)😂』

『アートさん、先ほどメッセージを受け取りました。こちらこそ、いつも本当にありがとうございます😊✨』


雪虫(アブラムシの一種)をよく見かけるようになりました。大量発生すると色々不都合なこともありますが、かわいくて😊北海道では雪虫が飛び始めると、2週間後に雪が降ると言われています。ひゃ〜⛄️

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