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泣く場所と逃げる場所

逃げてばかりの人生だった。
人が努力したり、目標に向かうなかでわたしは何事からも逃げていた。

小学生のときは忘れものが多くて、学校についてから忘れてきた体操服や教科書を何とか隣のクラスから借りることばかりしていた。
かんじんの忘れものをしない、ということがどうしてもできなかった。
忘れものはいまも多い。
その都度、出先でどうにかするという方式は、子どものころからちっとも変わっていない。

体育がきらいだった。
体育がきらいなあまり、あらゆるスポーツ、体操服、体育教師、体育館まできらいになった。
特に水泳の授業がいやで、プールのない高校を受験しようと思い立った。
ここでもわたしは逃げたのだった。
だが、その学校は県内最難関であった。
わたしは受験勉強からも逃げたので、この高校に合格しなかった。
二重に逃げた結果、最初の逃げの目的は達せられなかった。

大学受験でも逃げた。
現役で受験した大学にみんな落ちたので、浪人生活が始まった。
予備校にわたしはなじむことができず、途中で行かなくなった。
ここでも逃げた。
結局、当初の志望ではなく、高校の成績と小論文で受験できる大学を受けて、受かったところに入学した。
ここでも逃げた。

就職活動というものを自分ができる気がしなかった。
何となく卒業し、何となく知り合いの先輩の会社で働かせてもらった。
そこも少し働いて、また何となく別の知り合いのところで働いた。
どれも少しずつで、行き当たりばったりだった。
キャリアを積む、などという言葉は別の星の言語のようだった。
わたしは何もできなくて、どこでも役になど立たなくて、仕方ないので新聞の家政婦募集の広告をぼんやり眺めて日がな過ごした。
眺めるだけでそれに応募もしなかった。
とにかく逃げてばかりだったのだ。

逃げる、という言葉を思ったとき、どうしても思い出すことがある。

中学3年生だった。
わたしはその前の年に急性骨髄性白血病にかかり、一年間の入院生活を送った。
退院してから、一学年下のクラスに編入して、もう一年中学3年を送った。
抗癌剤の副作用で髪の毛が抜けていたから、カツラをかぶって登校していた。

主治医の指示で体育は見学だったが、学校のきまりで見学者も体操服に着替えなくてはならなかった。
体操服は前開きではなくて、頭からかぶる構造なので、カツラをつけているとたいへんに気を遣う。
取れたり、ずれたりするからだ。

夏休み前のプールの授業だった。
わたしはおしゃべりしながら水着に着替えるクラスメイトから少し離れて、体操服に着替えていた。

とても気をつけていたのに、体操服をかぶったときにカツラが落ちた。
プール更衣室の濡れたコンクリートの床に、カツラが落ちて黒い人工の髪の毛が乱れた。
わたしはこのとき、ものすごく逃げたかった。

あらゆることから逃げたかった。
体操服からも、カツラからも、更衣室からも、クラスメイトからも、教師からも、学校からも、主治医からも、病院からも、検査からも、治療からも、両親からも、家からも、病気からも、治療からも、死からも、孤独からも、自分からも、世界からも。

でもわたしは逃げなかった。
逃げないと自分で決めたからではない。
逃げる場所がどこにも、一つもなかったからだ。

わたしには、この広い世界のどこにも、わたしが逃げられるところが一つもなかったのだ。

更衣室は凍りついていた。
みんなおしゃべりをやめて、動きを止めてわたしを見ていた。
わたしはのろのろと床に落ちたカツラを拾い上げ、再び頭にかぶった。
人工の毛が濡れて、頬を硬く刺した。

わたしはずっとひたすら逃げたと思っていたのだけれど、逃げたことなどなかったのだ。
逃げたかったのに、わたしは逃げられずにずっときたのだった。

おまけにわたしは泣きもしなかった。
泣くことすらできなかったのだ。

あのとき、わたしに逃げる先が一つだけでも用意されていたなら、と想像せずにはいられない。
わたしはどんなに生きられただろうか。

逃げられなかったわたしは、自分を少しずつ殺すことで何とか生き延びてきた。
もう死にすぎて、生きているところがほとんど残ってないほどにまでなって。

誰にだって、泣く場所と逃げる場所が必要だ。
そんなところが用意されていなかったら、泣くことも逃げることも、そんなことすらできないのだから。

いま、を思うとき、わたしは泣く場所と逃げる場所を見つけたことに思い至る。
わたしはずっとできなかった泣くことと、逃げることを今ならできる。

逃げてばかりの人生ではなかった。
わたしは逃げなくてはいけなかったのに、必要ばかりが切実で、ほんとうは一度だって逃げられなかったのだ。

あらゆるところで、あらゆる人が行っているはたらきの中で、いろんなところに逃げるところ、泣くことのできるところが用意されたなら、世界はより希望を持てるだろうと思う。
だから、泣いて、逃げて。
十分に泣いたら、もう泣かないで、とにかく逃げて。どんどん逃げて。

わたしのささやかな活動の営みのなかで、知っているあなたのために、まだ知らないあなたのために、そしてわたしのために、わたしのやり方であなたとあなたと、わたしの逃げる場所と、泣ける場所を作りたい。

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