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つけまつげ/春泥

お化粧がずっとできなかった。

まず、どうしてするのかがよく分からなかった。
そして成人式で初めて他人に施されたお化粧は、たいそう気持ちの悪いものだった。
べったりしたものが顔の表面全体を覆って、息というものがぜんぜんできない。
世の中の女の人は、こんな苦痛に耐えているのかとおどろいたものだった。

お化粧というものが何のために必要で、いつからするべきかを誰も教えてくれなかった。
それなのに、みんなどの時間の隙間にそんなことを覚えたのか、大学生にもなるとお化粧をしている人がちらほらいるようだった。
気づいていなかっただけで、ちらほらではなくていっぱいいたかもしれないし、あるいは高校生の時にだっていたのかもしれない。

ずっと基礎化粧品という言葉すら分からなくて、基礎、というからのはファンデーションというものがそれなのだろうと思っていた。
顔なんて小さな面積の場所に、ものすごい種類のものを用意して然るべき使い方をするということが到底わたしにはできそうになかった。
今ではまあものすごく簡単な簡略化された工程でお化粧、というものをするようになったけれども、やはりそれほどの熱意をしぼりだせはしない。

でもお化粧がきらいなわけではない。
ときどきおもしろいお化粧をしている人を見ると、どうやってそのお化粧がなされたのか知りたいなと思う。

わたしがときどき訪れる駅前のスターバックスに、すてきな女性の店員さんがいる。
このかたはまず髪型がきっぱりしていて好きだ。
お侍さんの剃られている頭の上の部分だけ髪の毛が肩ぐらいまである。
その部分の髪の毛をきゅっと縛っていて、髪の毛の先はやわらかくカーブしている。
そのほかの部分は皆短く刈り上げられている。
すらりと背が高くて、いつもクールにほほえんでいる。

このかたのお化粧が印象的なのだ。
まぶたの上には緑だったり、オレンジだったりかなりはっきりした色をつけている。
よくありそうなベージュやピンクなどというあたりまえの色ではなくて、鮮やかな熱帯の鳥の羽を連想させる色だ。
わたしははっきりとした、確かなものがたまらなく好きなので、いつもこの女性のお化粧をすてきだな、と見る。

わたしもするのであれば、人に好感を持たれるとか、周囲になじむ、とかではなくて、熱帯の鳥の羽みたいな、池にとりどり泳ぐ錦鯉みたいなそんな色合いのお化粧をしたいと思う。

末の子の学校へ行った時、同じ学校の子のお母さんと話した。
控え目な服装とお話の仕方をされる方だった。
話しながらその方の顔を見ると、上のまつ毛が赤く鈍くひかっている。
赤いマスカラをつけているのだな、と思う。

まつげに色をつける効果について、考える。
話題は次の進学先についてだったけれども、そちらよりもまつげに色をつける効果についてが気になる。
やはりそれは鳥の羽のようではないだろうか、と思う。

まつげが伏せられたり、上げられたりすると鳥の羽がはたたくように見える。
まつげの生え際がすこし浮いているように見えた。
これはつけまつげというものかもしれない、と思う。

話しは進学塾の授業時間についてなされている。
わたしはつけまつげについて考える。
目の前の人のまつげは赤くて鈍くひかっていて、話に合わせてひらひらと動く。
動くたびに春陽が当たって、こっくりと鈍くひかる。
まるで春の泥のようだ。

わたしがまつげにつけるのならば、どのような形状でどんな色合いにしようかと考える。
わたしがつけるのであれば、それは誰かのまつげをひっぺがしたようなつけまつげではなくて、熱帯の鳥の羽のいちまいであってほしい。
それは光沢し、日光を受けてつややかにひかるだろう。
色は鮮やかなあおではどうだろうか。
そしてまぶたには、鳥の羽のあおに連なる色彩の色をきゅっと塗りたい。

天気のよい日に、鳥の羽をまつげにつけて、きゅっと鳥の羽の色に連なるあおをまぶたに塗ったわたしは身ごろのたっぷりした洋服を着て外を歩くだろう。
体と洋服の間に、風が入り、抜けていくだろう。

目の前の人のまつげはふたたび伏せられて、まだ子どもの話が続いていた。
子どもたちはまだ遊んでいる。

風が吹いて、昨日の雨を受けた地面の泥はきらきらとひかるのだった。

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