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【15歳の限界の向こう側】いじめという群集心理を生き延びて思うこと。 #自分で選んでよかったこと

はじめに

いじめの話は、僕らの感情や正義感を刺激します。努めて冷静に書こうと取り組みました。よろしければ、お気持ちに余裕がある時にお読みくださると嬉しいです。
私の答えの押し付けは、行わないことを約束します。

背景: 小学校時代の経験とその影響

父のうつ病発症

私が小学校1年生の冬に父がうつ病を発症し、大学で研究者をしていた父は療養しながら働くことになりました。小学1年生の私は、当時はうつ病は治らないと言われる時代だったことなど細かなことは分からなくても、父が大変な状況にあることは分かるから、父のために静かな環境を作ることを意識しました。

小学6年生の冬、「俺、治るような気がする」と父が母に言った数日後、治りがけの鬱が危ないと言いますが当時はそんな知識はなく、父は自死しました。父の死をどう受け止めればよいのか分からないまま時は凍りました。

父の死の告知とその後

高校の時に父の死因を告げられた私は、息子として父が生きる理由や支えになれなかったと罪悪感に苦しみました。30代半ばまで、ずっと考え続けて自分の納得を見つけました。我が家に何が起きたのかも。



起きたこと: 中学時代の悪意と生存

いじめと担任の悪意

中学2年生の時、40代男性の担任教師から粘着され、二年間にわたり壮年の本気の悪意に晒されました。

発端は、中学2年の春、新しい担任が20時頃に電話をかけてきて、クラス委員になるよう強要されたことです。
一年の時の担任が、手のかかる不良(ヤンキー)のそばに優等生を配置してクラス運営を行う思想の持ち主で、「あいつは使える」と引き継ぎをされたそうです。自分に従えば内申点などで有利にしてやるとのことでした。

14歳、中2の春です。
今なら、「その担任ダメだから転校しよう」と考えられますが、思春期で潔癖な少年としては、ただただその電話が汚らわしく、生理的に気持ち悪かったです。
電話の時間帯と内容、話し方が少し高揚して感じられること、グラスに氷が当たるような音が聞こえたから、お酒を飲んでるかもしれないと子どもなりに警戒しました。

なんとか電話は切りましたが、父が亡くなって一年数ヶ月だから、母に相談することはできませんでした。


ア・テストで点を取っても取らなくても言われる

ある日、お前みたいな奴はア・テストで失敗すると嘲笑されました。これは変な話で、私の成績はクラスで3番目くらいを維持しており、根拠が不明です。当時は神奈川方式と呼ばれるアチーブメントテストがあり、中2・中3と2回受験対策する必要がありました。

非常に不愉快だったので、ア・テストの過去問を10年分程度に絞って何周も繰り返し解いてパターンを把握しました。結果、ほぼ満点を取りました。満点だと評定が10段階の10、一問間違えると9だったから、ミス一問以内に出来ました。

「お前さぁ、ア・テスト、点取りすぎだよぉ」と担任にへらへら言われて、根拠不明な侮辱の謝罪もなく、何なんだこの人と呆れました。

体が大きいし、勉強もできるので、生徒からのいじめの標的にはなりませんでした。これが、中2。

壮年の男性の悪意や嘲笑を受けるのはとても不愉快で、本を深呼吸するように読み漁りました。老荘思想やカミュの『シーシュポスの神話』が心に残りました。


人生の岐路: 助けてと言えなかった、あの頃

職責を放棄する背中

中3の時、クラスに知的障害のある女子がいて、彼女に対する暴力が行われていました。

勉強も部活も趣味も、パッとしない180cmある男子生徒が、自分の中の葛藤を言葉にできないから、急に担任の授業中に立ち上がり、何もしていない知的障害の女子の背中を肺の後ろ辺りから真下に踏み下ろすように蹴ります。

すごい音がします。

「卒業するまでだからね」と、何が起きたか理解できない知的障害の女子を抱きしめて、一緒にあざだらけになる女子が1人いました。残りの生徒40人は黙認か、楽しんでいます。

担任は黒板に板書するふりをして生徒の側に背中を向け続けて何もしません。黒板から、知的障害の女子の席がある最前列まで1mちょっとなので聞こえないはずがない状態です。

うちの担任は黙認すると、生徒が理解して、暴力はエスカレートしていきました。

自分の限界と行動

中2から一年以上この担任の悪意に晒されてきたから、教師や大人への信頼が壊れていました。今なら、大人の力を借りる知恵がありますが、当時は無理でした。

母に伝えるべきですが、父の死から2年少しですから、まだ言えなかったのでしょう。

暴力を直接止めてしまいました。それは、楽しみの邪魔をされるのだから、私が標的にされます。担任は、黙認することで、生徒を煽っており、底知れない悪意を感じました。

彼は、おそらく何かコンプレックスがあります。家庭訪問の時に、普通の昭和の建売住宅の我が家にやって来て、「これが、大学の先生のお宅なんですなー」と、奇妙なテンションで部屋を見回していました。

生徒を教育する前に、自分が教育者としてコンプレックスをどうにかして欲しいものです。



苦い教訓: 経験から学んだこと

教育の本質と大人の責任

教育は、自分で考え、倫理的な判断ができる力を引き出して育むことも大切な役割です。単にいじめや暴力を禁止するのではなく、その背後にある問題を理解させて、本人が考えていじめを行いたくないと選択できることが重要です。

ですから、教師や学校関係者がいじめを黙認・助長することは、あってはならないことです。教育者は、どの子も安全で健全な環境を作る役割を負っています。

個人の勇気と倫理観で成り立ってはいけない

私は15歳で、どう考えても見過ごしてはいけない暴力を止めることを貫きました。クラスメイトの女子が好きだからとか、可愛いからといった理由ではなく、人間が人間に行うことの許容範囲の逸脱だと思いました。

単なる好き嫌いや偏見と、直接的な激しい暴力は、次元が違います。被害者が大怪我をして身体障害を負って責任を取れるのでしょうか?

行動と責任の関係を理解できず、問題のある生徒の親も謝り慣れてしまっていて我が子を諦めている時、誰が責任を取るのでしょうか。

結果、不登校をして内申点を諦めて、進学先を変更しました。悔しかったです。文化祭の角材で殴って殺すと興奮する生徒を、担任も生徒も煽っていました。角材を持たせてみたり、聞こえないふりをしたり。

ルールを守る側が安全のために不登校するのは変だし、事態が明るみに出て学校からいじめが無くなり近所のおばさんに、私は人柱だと言われ不愉快でした。

クラスの安全や、担任が問題のある人物だった時に、15歳の少年が個人の倫理観や信念で行動することで、治安が回復することは変です。仕組みがおかしい。

子どもは、適切に考えることや人間関係を覚えに通うのだから、命のやり取りが起きるのはあり得なくて、安全は必要です。

こうした経験を踏まえると、パワハラやセクハラは、学校でいじめの関与か黙認を通して、不適切な学習をした影響もあるのではないかと思えるのです。専門家の分析や統計を見ないと断定は出来ませんけれど。

長期的な影響とトラウマ

高校を卒業して、やっと臨床心理士のカウンセリングを受けられたから、高校3年間は心身のダメージが強く苦しみ抜きました。

心の傷は癒えないけれど、考える力と倫理観を育ててくれました。ことに、様々な他人の悪意を経験したことは、人間の負の面を読み解く際に財産になります。

今でも止められるだろうか?

15歳より知恵も経験も積んだから、直接的な介入は避けると思います。けれど、黙認は許さないと思う。親御さんの方針で、社会に出れば養護学級とは異なるからという理由でうちのクラスに通っていた知的障害の女子に、温かくするのではなく、身体障害が予想されるような暴力を行うことは、許されないと思います。暴力を振るわれる筋合いないし、言い返せないし、なぜ暴力を振るわれるのか理解できない相手に、不良が鍛錬不足で自分の課題を言語化して考えられない葛藤を叩きつけることはあり得ない。

正しい行動が、倫理的な選択が、正しいとは限らないことを、身をもって学びました。15歳の私の判断や選択を、40代半ばを過ぎて親世代になって、不器用だなぁお前はと当時の私を受け入れています。

15歳の未成熟な段階で、良くやったじゃないかと。

むすび

いじめられる側にも問題がある。
いじめは無くならない、楽しいからだ。
など、色んな意見があります。

いじめを楽しいと感じること自体に抵抗があります。空と雲とか、雨上がりの水たまりに反射する景色とか、日常に綺麗なものはたくさんあるし、美術館へ訪れたり、図書館を探索してもいい。

亡くした父は、青年時代に山登りが好きで、友達と丹沢を登ったりしたそうです。

母方の祖父は、コンビニで助六寿司を買って、冬を耐えて満開に咲いた公園の桜に会いに行くのを楽しみにしていました。

丹沢でも桜でも、何でもいい。美しいものも楽しいものも沢山あります。それらにアクセスしやすくすることも教育だから、いじめを楽しいとと感じる生徒ほど、教育は必要でしょう。

平和な日本で、『夜と霧』の世界のような経験をするのはなぜでしょうか。思うに、察したり忖度する、日本の空気を読む文化を、子どもたちが練習中であることも、事態を複雑にしているでしょう。

この体験を読んでくださって、何が必要なのかを、もしも1人でも多くの方が考えてくださったら、いじめをなくせると思うのです。

なぜならば、子どもたちは大人を見ているからです。例えば、私に粘着した担任の授業だけ荒れて、いじめを許さない美術の先生の授業は平和でした。大人が、安全を担保する、いじめは許さないと言葉と行動で示せば、子どもたちは侮っていい相手かどうか読み取ります。

だから、大人が本気で解決しようと考えることは、無駄じゃないと思うのです。みんな正解は異なるから、持ち寄って話し合えば多角的に多層的になります。


#自分で選んでよかったこと


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