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安倍元総理銃撃事件を受けて~凶行の原因と私達のすべき事~

こんにちは。
アンガーマネジメントのファシリテーターをしております、からすと申します。
2022年7月8日。
参院選を目前に各党がしのぎを削る中、安倍元総理が銃撃されるという事件が起こりました。
今回の事件に関して私なりに思う所をお話しますので、是非最後までお付き合い下さい。

① 暴力による言論弾圧は許されない

まず大前提として、いかなる理由があったとしても法治国家の中で殺人という手段が肯定される事は未来永劫ありません。
どのような人物であれ、罪は法に照らし、司法の裁きを受けるのがこの国のルールです。
そのルールを順守する事で、我々も不当な暴力から守られているわけです。

もちろんこれは今回銃撃された安倍晋三氏に関しても同じです。
安倍氏には森友加計学園の国有地売却問題をはじめとして様々な黒い疑惑が付きまとっており、おそらくそのほとんどが実際に黒である事は多くの国民にとって周知の事実でしょう。
それでもなお様々な人事権や見え透いた嘘を駆使して逮捕を逃れ続ける様は、これも多くの国民にとって唾棄すべき経過だったのではないかと思います。

しかし、それでも私刑は認められません。
それを認めてしまえば法は効力を失い、日本のいたる所で身勝手な理由による暴力が吹き荒れるでしょう。
あるいは権力と暴力組織が結託し、北朝鮮も真っ青の支配体制が出来上がるかもしれません。

罪は法によって裁かれるのが、この国のルールです。
本来は安倍氏にも法の裁きが下され、疑惑の解明が成されなければなりませんでした。
今回の事件とその後の我々の対応は、暴力と言論の対決と言っても良いでしょう。

②凶行の引き金は何?~絶望と閉塞感からくる怒り~

上記のように私刑が認められないというルールは、今さら説明するまでもなく広く国民に知られているルールです。
当然それは本件の犯人も同様であり、40年以上を日本の法律の中で過ごしてきた人間が知らない訳もありません。
では何故、知っているはずのルールを踏み越えてまで犯人は殺人を犯したのでしょうか?

私はこの理由が、日本社会に蔓延する閉塞感ではないかと考えています。

先に述べた通り、本来我々の社会では罪を犯した者は法で裁かれ、犯した罪に相応しい刑罰を受けます。
しかしながら、これも先に述べた通り安倍氏は様々な疑惑を抱えながら、時に検事長の人事にまで介入する事でその追及を逃れてきました。
罪が法で裁かれないどころか、裁くべき司法が抱き込まれて役目を果たしていない状態ですね。

具体例を挙げるとすれば、同2022年7月8日、最高裁で元TBS記者の山口敬之氏に対し332万円の賠償命令が確定した伊藤詩織さんの性被害の件もそのひとつです。

本件は2015年に安倍晋三氏と交流のある山口氏からレイプ被害を受けたと伊藤詩織さんが被害届を出したものであり、当時警視庁では準強姦容疑での逮捕状も取っていましたが、刑事部長であった中村格氏の指示で執行は見送られたとされています。

また東京地検もこれを不起訴としましたが、2019年に行われた東京地裁での民事裁判では
「酩酊状態で意識のない伊藤氏に対し、合意がないまま性行為に及んだ」と認められています。

ようやく判決が確定し伊藤さんの被害が認められた形にはなりましたが、長期間に渡って伊藤さんの人権が蹂躙され続けた事実は消える事は無く、2021年には逮捕状を止めた中村氏が警察庁長官に就任した事実も忘れてはならないでしょう。

前述の森友加計学園の国有地売却問題でも公文書改ざんを指示したとされた佐川宣寿財務省理財局長が国税庁長官に就任したように、不正であっても権力者におもねった方が得だとする風潮が生まれていた事は想像に難くありません。

さらに言えば、この風潮は司法だけでなくマスメディアにも見られるものでした。
安倍氏の件にせよ他の自民党議員の不祥事にせよ、当初こそ通りいっぺんの報道はするものの深く切り込む事はせず、政府からのメッセージをただそのまま流すといった姿勢が現在に至るも数多く見られています。
上記の伊藤詩織さんの件にしても被害者である伊藤さんは常にフルネームに報道されるのに対し、加害者である山口敬之氏は『元TBS記者』とだけ報道されるケースが少なくありませんでした(2022年7月現在も含む)。
報道と言うよりは権力者の広報といった方が適格かもしれませんね。

さて、上記のような傾向が何年も続けて見られれば、司法にせよメディアにせよ信頼感は揺らいでいくのが当然です。
罪を犯したところで有力者は、上級国民は何だかんだ守られるのではないか?
追求すらされる事なく、逃げおおせるのではないか?
果ては広まった不信感から「世の中はそんなもの」「追及を叫ぶのは青臭い」といった風潮すら見られているのではないでしょうか。

しかし社会への信頼が揺らいだところで、苦しくなっていく経済状態が生むストレスや、ルールの違反者に対する憤りは消えてなくなりません。
自分達が声を上げたところで何にもならないのではないだろうか?
正義は実行されないのではないだろうか?
贖罪など行われないのではないだろうか?
世界や人生に希望が持てない。
行き場のない負の感情を抱えた人間が、大量に発生する事になります。

そして積み重なった無力感や閉塞感という第一次感情は、いつしか『怒り』という生理的な感情を超えて『怨み』『殺意』といった病理的な感情へと変化していきます。
誰も助けてくれないし信じる事も出来ないのなら、と犯罪への垣根を超える者が現れるのはむしろ当然の事と言えるかもしれません。

大袈裟な話ではなく例えば接客業の方はコロナ禍以降、クレームが増えた事を実感しておられるのではないでしょうか?
捌け口を求めたたくさんの不満が、社会に渦巻いているのではないかと思います。
このままの状態が続けば、第二第三の事件はそう遠い未来ではないでしょう。

③ いま我々がするべき事とは?

では、そんな風にならないために我々にできる事は無いのでしょうか?

有ります。
特に今、とても分かりやすいものが1つ。
それは選挙に行く事です。

そんな事をしたってどうせ変わらない?
違います。大きく変わります。
変える力が我々には元々あるのです。

日本の主権者は政治家ではありません。
我々国民1人1人が主権者です。
国会議員は本来その代理、使い走りに過ぎません。

それが分かっているからこそ、30年(安倍氏に限定してすら8年8か月)日本経済と司法を荒らし続けた政党は選挙前に「国民の暮らしを守る」と噓をつき、票を得ようとするのです。

本音はコレ

しかし票は組織のものではなく、我々1人1人が自由意思で投票できます。
選挙に行ってこの腐敗政治を良しとしてきた政党とは違う所に票を入れる事が、我々を取り巻く閉塞感や無力感を実際に取り払う事になります。
経済状態が良くなれば、もう一度社会正義に対する信頼が取り戻せれば、困難に際して暴力ではなく、話し合いや裁判による解決を図る人たちが増える事になります。
逆にこのまま社会正義が裏切られ続ければ今回のような事件が続発し、7月8日が日本崩壊の序章に過ぎなかったという物語が後世に語り継がれる事でしょう。

どうか投票に行って、本当に日本を立て直そうとする政党の方々に力を与えて下さい。
お願いします。
私や貴方の大切な人のために、清き1票を。

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