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子供は居ません。

子供は居ません。何度口にしたことだろう。時として残酷にもその一言で自分で自分の胸の内を切り刻む行為にも似ていた。
あの人にもあの人にも、あんな人にも子供が居るのに何故私は母親になるという道へと導かれなかったのだろう。神様が居るとして、なんと無惨で残酷な運命を背負わせるのだろうかと思った事もあった。
一時期は妊婦を見て殺意を抱いた。現代に本当に妊婦へのいじめがある事にゾッとしつつも、あの時の私だったら何をしてもおかしくなかったかもしれないとさえ追い詰められていた。
幼児虐待のニュース、赤ちゃんが亡くなっていくニュースに何故、どうして、そんな所に産まれてきてしまうのかと涙した事もあった。

夫を恨んだこともあったし、責め立てたこともあった。何故協力的ではないのか、何故仕事ばかりなのか。しかし最終的な互いの結論は同じだった。治療をするまでの金銭的余裕と、身体がない事。これはもうどうする事もできなかった。それに、夫は当時糖尿病の治療を受けていた。(現在は糖質制限の食事をしたお陰でインスリンの注射はなくなり、薬で血糖値コントロールをしている)
私は私でアレルギーの治療やうつ病の治療で薬が手放せない体だった。
他にも出張の多かった仕事のせいと、私の生理不順が重なり冷静に話し合っても子供を望むのが難しい事はわかっていた。


そのうち欲しかった犬を飼う事で、犬仲間とオフ会等をすることによって子供の居ない生活や感覚が一変した。犬仲間は子供が居る居ないが全く関係なく付き合えて気楽だった。


仕事を始めてからの方が再び子供が居るか居ないか、結婚してるかしてないかの詮索があって時に残酷な物言いにぶち当たる事もあった。
『子供居なくて専業主婦ってなにしてるの?』
『犬がいたから良かったね』
『(金銭的、時間的)余裕があっていいね』
そして始まるのは子供の話ばかり。この人たちには自分というものがないんだろうか?というくらいに子供の話しばかりだった。20代ならまだしも、30代でも嫌味や嫉妬をぶつけられるとは思わなかった。
その上何よりもカルチャーショックだったのは、もう40代になったから婦人科検診ですんなり終わるだろうと思った婦人科での出来事だった。


「お子さんは望まれないんですか?」


40過ぎてこの質問を受けることになるとは。
さすがに私も20代よりも倍近く生きたせいか傷つきやすいハートは持ち合わせてなかった。それよりもその質問に驚いて笑ってしまった。相手もプロなので、ハッキリと望まないと応えることですんなりと納得してくれた。
この婦人科が最後だろうか。さすがにもう『お子さんは?』の質問に遭遇する事はなくなった。
時として子供の有無を答える事が必要な時もあるだろうけれど、いつかの傷は癒え経験値として備わった。


色んな心が備わった頃に、夫の元上司が夫に「あの頃は出張ばかりで奥さんに大変な思いをさせたな」という話があったことを夫から聞いた時だった。そんな風に思ってくれてる人がいる事に感謝し、夫に隠れて涙を流した。


私には無い母親または父親という経験値のある方を尊敬してます。そんな事が当たり前でなくなっている昨今ですので、色んな家庭環境や感情の錯綜、こんな筈じゃなかったという中で一生懸命生きて育てていらっしゃる皆様に敬意します。
そして今真っ只中で苦しんだり色んな感情を抱えている女性たちが、後悔のない選択を出来ることを心から願っております。
人は皆一緒じゃない。違うから良いという優しい世の中でありますように。

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