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教育ログ12人目(天王寺・現役→京大法)

0.今回の教育答え合わせさん

→公立高校から京都大学法学部に合格されたNGKさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「現役で京大法学部合格という点は自分が本来もつ力に対し出来すぎでした。親の方針と自身の努力で大きな目標を達成したという点で100点としてもよいのですが、振り返ると大学合格がゴールとなる典型的な形になってしまったので、本来はもっと目的意識をもって進路を選択できていれば、、という意味で90点としました。結果に至る決定的な要素は2点で、両親の教育方針、それと大学受験前、高校の教育環境かと思います。その2点については満点といってよいかと思いますが、その中で自分の意思をより明確に形成できていればより望ましかったかと思います。」と語るNGKさんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→NGK

Q:現在のご職業について教えて下さい。
→不動産業/現在はファンドマネジャーとして勤務

Q:年代を教えて下さい。
→30代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→先頭に立つタイプではないが、集団の中で一工夫いれるひょうきんキャラ
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学 法学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校→(高校受験)→大阪府立天王寺高校

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→周囲のよくできる人間と比較すると要領の良い人間、天才肌ではないです。

ただ昔から負けず嫌いで、自分なりに目的/目標意識が強く設定できれば一定の執着をもって努力を積み重ねることができました。

ストレス耐性はあまり強いわけではありませんでしたが、自分でもわかっていたため無理はせず自分なりのガス抜きルールをゆるく実行していました。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→私の経験からは、大学受験の入口と出口が重要といえます。

両親の教育方針とそれに沿った小学校時代の経験が入口で、ここで基礎的な学習スキル、受験競争における自分の客観的位置づけの認識などが身についたかと思います。

そして受験期をともに頑張れる高校の友人や学校環境は非常に重要で、そこで満点の環境に身を置けたことが自身の成功に大きく寄与したと感じます。


2.保護者の教育スタンス(配点25点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:同志社大学 法学部
   母:立命館大学 文学部

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→父は子どもの意思を尊重し放任。母が主導する形でした。

総じて特にスパルタでもなかったですが、常に機会を与えられていたように思います。
小学校時代最終的には受験戦争をリタイアしましたが、その際には私の意思も尊重してくれた点からしても、フラットに私のことを考えて最も合理的・効率的な道として勉強を示し続けていたように思います。

Q:ご両親との距離感について教えて下さい。
母は教育方針を頻繁に提示してくるのですが、基本的に天然な人間であまり威厳はなかったため、私は基本的に話半分で聞いていました。

一方、父は基本的に学問や概念の世界に浸っており本当に変わった不思議な人で、こちらもフラットな関係ではありつつよくある父と子、という感じではなかったように思います。

父から学業については褒められることはあっても一切の指摘はなく、子どもながらに私に甘すぎることを自覚していました。
総合して、機会は与えてもらいましたが不必要なプレッシャーはなく、学業においてよい距離感だったかと思います。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→適度に道を示されていながら強いストレスを与えられるわけではなく、学業において継続的に努力できたポジティブ要因かと思います。

小学生時代から勉強を競争ゲームのツールとして提示され、ある程度高いレベルで楽しむことができたことで、その後の学業におけるポテンシャルが形成されたように思います。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→母は教育産業に従事していたこともあり、小学校時代からよく教育面のコメントがありました。

ただ、私は結局自分で勝手にストレスをかけて努力するタイプだったのを知ってのことか、あまり強い干渉や誘導はありませんでした。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
強いて言うなら、平日の塾帰りに迎えにきた母と外食するのが楽しかったくらいでしょうか。

両親は共働きで平日の夕食は基本的に一人(父が夕食を作ってくれるがなぜか同席しない。笑)だったので、ちょっとした非日常感が塾のストレスを緩和していたように思います。

あとは特にないですが、母はよく次の進路について「天王寺高校」「京都大学」を挙げたうえ、「絶対いけるから頑張りなさい」と言っていました。
私は聞き流していましたが、最終的に京都大学を目指す段になって、「母の戯言もあながち間違ってなかったのかも」と思うようになりました。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

すでに書いてきましたが、特に意思のなかった私に対し継続的に道を示し続けてくれた点は、私の学業を徐々に形作ってくれたように思いますので特に不満はないです。

強いて改善点を挙げるなら、大学進学の先、学業が将来のどのような可能性に繋がりうるのか、より先の展望から逆算させるような導入があればよりよかったと思います。(非常に難しいこととは思いますが、、)

また、ひとつ前の質問にある学業につながった文化や習慣の提供がなかった点は改善の余地はあったかもしれません。その緩さがよかったように思いますが、そういった文化のあった人の話を聞くといつも感心します。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点25点)

Q:小学受験はしましたか?
→してないです。

金銭的な理由もあったでしょうし、公立で様々な人と関わるべきとの両親の方針もあったように思います。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→大阪の片田舎だったこともあり、相対的にいつも成績はよかったです。

テスト成績に対して特にインセンティブ(小遣いなど)はなく、単純に得点ゲームを楽しんでいましたが、たまに70点~80点台をとると一人でめちゃくちゃ落ち込んでいました。
体育なども含め成績はよかったのですが、保護者懇談会で「あとはリーダーシップがあれば完璧、、」などと言われ、この点はいまだに課題意識があり記憶に残っています。
 
また塾の試験でも大抵はそれなりに結果が出て、特に国語は偏差値70前後であることも多く、嬉しい一方、こどもながらに「国語は努力より遺伝よな」と思っていた記憶があります。(努力を否定するつもりはなく、方法論などを特段意識せずとも結果が出ていたため両親に感謝していました。)

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→別にやりたいわけでもありませんでしたが、塾の講師に質問されてうまく答えられないことや試験で周囲に負けること、問題が解けないことが悔しく、その反発心で取り組んでいました。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→学校での周囲の学業レベルは低く授業やテストの負担はありませんでしたが、逆に友人関係を意識し、学業のパフォーマンスは極力開示しないようにしていました。
一方、塾通いについて当時はそれなりのストレスもありましたが、塾講師が皆さんユーモアのある方で、その点は地味によかったと思っています。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→低学年は毎日の宿題としての漢字・計算ドリルのみです。

4年生~6年生は学習塾に通い、週2回の授業と宿題を週でならして60分/日程度かと思います。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→学習塾ですが、母親の勤務先の関連事業で授業料が安く済むこともあり、母の勧めで入りました。

当時友人との遊びが最優先事項でしたが、体験授業での講師の方の話術が面白く、続けてもいいかなと思えました。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→☑プラス影響:自分の客観視
学校の勉強は楽々でも、自分よりもさらに学業優秀な人間がいること、それらの中でも自分は相応に戦えることを早い段階で認識できたことはプラスに働きました。

特に灘中学校や東大寺学園の算数の問題は解答が一切書けないことも多く、それを解いて競争に勝つ人間がいることに驚愕しつつ、一方で国語も入れた総合成績ではそれなりの位置になることから、学習面での自分の位置づけ(TOPofTOPではないがそれなり)が具体的にわかり、井の中の蛙にもならずに済みました。
 
☑プラス影響:難しい課題を考え抜く習慣
特に中学受験の問題は短時間での処理能力よりも深い思考力やひらめきを求めるものが多かったように思います。

解ける解けないに関わらず、わからない課題に対してきちんと向き合い考えることを経験し、忍耐力や成功体験に繋がりました。
これは現在自分の得意とするところでもあり非常に重要で、また部活や恋愛など時間を割きたくなるものが現れる前の小学生時代に時間をかけて経験できたことが、実は大きかったのではと感じます。
 
☑マイナス影響:負担、目的意識の欠如
強いてマイナス面を挙げるなら、学習塾での勉強は直接的には中学校受験に活かされなかったという点でしょうか。

勉強自体に負担があったこともそうですが、どちらかというと当時は友人と遊べない、(塾のために)自分だけ早く帰宅すること、友人と同じ中学校に進学できないことに対して大きなストレスを感じていました。

単に得点ゲームでの競争だけを原動力にしてその先の目的意識(進学後の展望など、まあ普通の小学生にはあまりないと思いますが)がなかったことから、次第にストレスが勝ってくるようになり、最終的には中学受験をリタイアし地元中学に進学しました。この選択でよかったと感じますが。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→数字感覚への苦手意識が長らくあり、そろばんなどやってみてもよかったかもしれません。

完全にイメージで語りますが、数字を数字のまま扱うというか、左脳的な情報処理能力が伸ばせるのではないかと想像しています。(どうも私自身は何か無駄な解釈や別の可能性を探る癖があり、算数・数学の問題を解く際に邪魔になりました。)
また少し趣旨と少し異なりますが、社会では結局勉強だけでなくチーム活動が多いため、チームスポーツなどは早めにやっておければなと思います。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→学校の図書館にあった「シートン動物記」「怪人二十面相」などを合計40-50冊程度という感じかと思います。

課題意識はありつつ、今も含め結局読書は苦手です。(注意力散漫というか、ワンフレーズに気をとられて変に解釈やイメージを膨らませてしまい、本来読みたい内容がなかなか進まず途中で挫折するパターンが多いです。人の話を聞けないのと同じ構造で、たまに同様の人がいるように思います。)

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→TVゲーム、カードゲーム、公園遊びなど、とにかく友人と一緒にできることすべてです。
それ自体が直接的に学業に寄与したとも思いませんが、日ごろ満足にやりたいことをさせてもらってこその学習塾等の学業だったと思います。

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→5年生の時、遊びを切りあげて学習塾に通うことや地元を離れて私立中学校に進学することに嫌気が差した私は、母に泣きながら学習塾を辞めたいと主張しました。

そこまで我慢していた理由や細かいきっかけなどは覚えていませんが、それまでの既定路線を変えるという意味で私の中ではそれなりに大きな事件でした。
きちんと私の意思を尊重し方向転換に応じてくれた両親には感謝しています。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→時間のあるタイミングで必要十分な学習ができたかと思います。

小学生時代の学習経験はそのまま芯として残ったと感じますし、非常に重要かつ有意義な環境だったと感じます。それなりにストレスもあったため若干減点しますが、それも必要な範囲だったと思います。

4.中学時代※中学受験含む(配点10点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→前述の通り、母親のイメージはあったようですが私自身は考えていませんでした。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→小学校と同様地元のレベルは低かったので、試験期間特に頑張ることもなく5/160位以内には入っていました。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→中学校時代は最後の1年以外は塾に通うこともなく、きちんと結果を出し続けるために必要な分量だけを勉強するようにしていましたが、総合的に見て意識は低めでした。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→純粋な教育環境という点では中学校は最悪に近かったです。(笑)

試験でよい成績を残すのは大前提で、荒れた学校で浮くことなく存在感を一定出し続けることを考えていました。

クラスの主要メンバーに仲間入りして授業中も発言しやすい環境づくりをしたり、思春期ということも相まって変に政治的な動きをしていました。
結果的にはそれで内申点が積み重なり、公立進学校への進学を楽々決めることができよかったと感じています。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

基本的に毎日部活後ダラダラと過ごし、土日は友人と遊びに出かける日々でロクに勉強していませんでした。3年生からは小学校時代と同じ学習塾に通い、週1-2、夏季・冬季講習などそれなりに勉強していました。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

→学習塾では有名私立等の難しい問題も多く解いていたため能力への寄与はそれなりにあったと思います。
結果的に第一志望であった公立高校への合格を目標とすると、ベースとなる内申点が十分に稼げていたこともあり、オーバースペックな内容だったようにも思います。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特にありません。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→小学校と異なり、ストレスなく取り組めたかと思います。

今回自分の学習歴を振り返ってみて、中学校時代の教育の重要度は低かったと感じました。
公立でも進学校がきちんと整備されており、かつ内申点と平易な共通試験での得点があれば合格できたため、中学校で教育を頑張る必要はありませんでした。
どちらかというと部活動でのチーム行動、様々な人間の中での処世術など、勉強以外で頭を使うタイミングが多かった点は、広い意味での自分の教育にはよい環境だったとも思います。


5.高校時代※高校受験含む(配点40点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→滑り止めで2校だけ受験しましたが進学するつもりはありませんでした。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

中学時代の流れでなんとなくダラダラ過ごした1-2年生中盤は、周囲のレベルが上がったため成績はいつも中盤程度でふるわず。

この時点では京大など雲の上で意識にもありませんでした。

2年生の秋から受験のにおいが周囲に漂い始め、部活動の引退とともに終業後の自習を開始したのですが、3年生の頭の試験で一気に160/320位→60/320位まで順位が伸びました。
そこで学校や母が推していた京大を意識するようになり、またその快感や自信がその後受験期を通して努力するきっかけとなりました。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→上述の通りスイッチが入ったのは2年生の秋からです。

学年順位は伸びましたが、河合塾の京大判定などはC以下が基本、1度だけB判定が出たくらいで、これまでとは違いさすがに楽々とはいきませんでした。

それを自覚してからの受験期は、起きてから寝る前1時間のゲーム以外はほぼ勉強に充てていました。
苦手意識のあった数学は2-5時間/日程度毎日問題を解き続け、また京大文系は二次でセンター試験(現在の共通テスト)の選択とは異なる社会科目を選択する必要があり、世界史の勉強にも相応の時間を割きました。
ストレス調整として毎日寝る前の息抜きも絶対に確保していましたし、(非常に行儀が悪いですが、)気分が乗らない日は夕食を食べTVを見ながら世界史の資料集に目を通すなど、極力自分の感覚に逆らわない学習スタイルをとっていました。
総じて、足りない才能分を学習時間でカバーしたという感覚です。

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?

Q:それぞれの習い事はどう活きたか教えて下さい。
→地元の進学塾は、自習室が7-23時で使用できるということで友人と通い始めました。

その友人とは受験期をともに頑張れましたし、先生方も人間性のよい方が多くよい環境でした。

 また受験期の最後で過去問等の京大に向けたトレーニングとして河合塾に通いました。ここでは基本的に厳しい現実を突きつけられ続けましたが、レベルの高い講師と周囲の受験生の中で、徐々に高まっていく緊張感にうまく馴染むことができました。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→小中とは違って学校外での学習はツールとなり、逆に学校内での学習が自分の受験勉強を大きく支えてくれました。

教員の皆様のレベルは高く丁寧な指導が行われていましたし、賛否あると思いますが高難易度の国公立大学への誘導も結構あり、自然と国公立のどこかを目指すマインドになっていました。

一方でそれらに対し真摯に取り組む周囲の友人たちの存在が本当に大きかったと思います。
クソ真面目というわけではないですが、勉強にもそれ以外にもきちんと真面目に取り組むことが正義とされ、妥協せず努力する人間が評価されるような雰囲気がいつの間にか出来上がっており、教育環境としては最上だったと思います。
大学受験での結果には、この高校の学校環境が不可欠だったと感じます。

5.答え合わせを終えて

→思い返せば学業は自分の人生において多くの時間を占めており、今回その経緯や背景について深く顧みることが出来てよい経験となりました。
 
新たなことを学ぶのは仕事や人間の幅を広げるために必要・重要であり、学ぶことに真摯に向き合い、特に初動期のストレスに耐えるという経験を小さい間から積み重ねてきた人間は強いと考えています。

学歴社会はしばしばやり玉にあげられ企業方針も変わってきていますが、学歴にはそうした積み重ねが背景に存在する可能性が極めて高く、効率的な人員確保を目指す企業の活動として適切な判断基準だと思っています。
学歴が全てでないことはいうまでもないですが、それが多くの選択肢に繋がる構造自体には合理性があると思います。

その意味で、自分の本来のポテンシャル以上の選択肢を持たせてくれた両親や学習塾の講師の方々、また特に高校の先生方、同級生など周囲の人間には感謝の一言です。
 
自分が親になって難しいと思うのが、子どもにどれだけの機会と負荷を与えるかという点です。
特に私のように自力を超えた結果を手にするためには相応のストレスがかかりますし、途中で潰れる可能性もありますので、子どもの時間をどの程度学業に割くよう誘導するべきか迷いどころで、まだ方針は決まっていません。

おそらく私の両親がそうであったように、とりあえず機会を与えてみて、子どもの様子を見ながら臨機応変に対応していくしかないのだと思いますが、ヒントが欲しくなったら、今回のこの答え合わせを見てみようかなと思います。ありがとうございました。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。

主だったところでは以下2点が僕の感想です。

・中学受験について
まず中学受験を辞めたいと言い出せる、そしてそれを受け入れられる親子関係スゲーなと。
お母様が教育関係にお勤めになられてたということで、辞める事を伝えて・受け入れることは、双方それなりにハードル高かっただろうになと思いました。その上で、(学歴という意味における一旦の)目標地点に着地されており、結果的にこの判断は名采配だったんだなと。

・公立中学について
公立中学で学ぶ意味(or保護者が通わせる狙い)ってNGKさんが書かれてた内容、広い意味でのサバイバル力ということなんだろうなと。これはでも逆に潰れちゃう子もいるだろうし、子供の適性を見ながらなんでしょうね。

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