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教育ログ3人目(帰国子女→京大法)

0.今回の教育答え合わせさん

→アメリカの現地の公立中・高校から帰国子女枠で京都大学法学部に合格されたMiffiyさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「父のアメリカ赴任で中2からイレギュラールートに乗ることになりましたが、イレギュラールートになったことで努力をするようになり、かつアメリカの教育制度や帰国子女・海外学校出身者枠という受験枠組みで求められることが性に合ったので、結果よかったのだと思います。」と語るMiffyさんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。



1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→Miffy(H.N)

Q:年代を教えて下さい。
→アラフォー

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→近所のおじちゃん・おばちゃんからいつもお菓子を与えられる、天真爛漫な“THE子ども”でありつつ、怒られると「だって!」と反論をする自我強め・頑固なお子ちゃまでした。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学法学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校(~中1)→アメリカの現地の公立中・高校→河合塾帰国子女コース(約半年)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。
※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?

→天才型でもコツコツ秀才型でもなく、ズバ抜けてはいない程度の優等生。
良い成績を取れるのが当たり前のように育てられてきたので、高校までの勉強はよい成績をとるゲームのような感覚でもありました。一方、勝てない試合には出ないところもあり、高校になると数学・物理は兄と比較して自分が向いていないと感じ、それらは兄のフィールドとして私は戦わない選択をしていました。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→難関大学合格をゴールと設定した場合、小学校時代の所謂“お勉強”の影響は小さい気がします。高校まで通じて親が何に触れさせるか、どう考えるか、どう接するかが教育というか人生に与える影響が大きいと感じたので、保護者のスタンスに多く配点しています。


2.保護者の教育スタンス(配点30点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:東京工業大学 工学部
母:南山大学 外国語学部
兄:ワシントン大学 宇宙航空工学 修士

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→“大人になる”とは経済的自立ではなく生活力を身につけることだと教えられ、勉強だけでなく家事なども含めて生きる術を学ばせる方針でした。中学生ぐらいからは「今の生活がなぜ出来ているかよく考えなさい」と言われ、そこそこの大学に行く必要があるのだろうとなんとなく思っていました。
但し、母も叔母も全員専業主婦の家系なので私に関しては「“賢いお嬢さん”と思われるレベルの大学に行ければよい」ぐらいの期待値だったと思います。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
学校の勉強をきちんとしておけば、勉強の先にある選択肢は維持できるだろうから、学校の勉強はきちんとやっておこう、という意識にはなっていたものの、トップを目指す意識がなかったのは、なんとなく自分で食っていくイメージをあまり持っていなかったからだと思います。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→兄と私の性格の違いを踏まえて違う通信教育や塾を選ぶなど、広義で教育熱心であったとは思います。両親に勉強を教えてもらったり、学校のテストや成績についてとやかく言われた記憶は父に数学を教えてもらう以外ほとんどないです。
父との数学は時に「解き方が美しくない」と解き直しを求められることもあり、そこで自分が所謂理系ではないと悟りました。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→学業につながったかはわかりませんが、家族で美術館に行くとリビングに飾りたい絵、好きだった絵を後から理由と共に訊かれていました。あと、母が好きな文学・絵本、父の専門書と家中に本があり、父も母も仕事関係や資格試験の勉強をしたり、大学講座の宿題をやったりと、親は親で自分の勉強をしていることが多かったです。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

特に不満がなく、自分も子どもに対して同じスタンスを取るだろうと思うので満点かな?と。学業以前に、経済的にも精神的にも家庭に不安がなく、「両親は絶対私のことを守ってくれる、応援してくれる」という信頼と安心感があったのは大きかったと思います。あとは、親の基本的な教育方針が一貫してブレることがなかったのもよかったことだと思います。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点20点)

Q:小学受験はしましたか?
→していません。祖父が付属に通って学校の友達となかなか遊べなかったのが残念だったとのことで、父(+叔母)を地元の公立に行かせ、その流れで兄も私も地元の公立小学校に通いました。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→小学校の時にあまり人と比較して出来る・出来ないと思ったことはないですが、勉強で困ったこともなく、児童会の副会長やら学級委員長などをやっていたことから多分そんなに下の方ではなかったかと。とはいえ、トップ私立中学を目指す受験組ほどちゃんと勉強していなかったので、絶対1番ではなかったです。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→勉強好きではなかったです。適度に優等生でいたいタイプだったので学校の勉強はきちんとこなしていましたが、それ以上でも以下でもなかったです。但し、負けん気は強く、小2の九九の81マスシートのスピード競争で1番を取り続けたくて必死だった、といった記憶はあります。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→近所に県トップの私立中高一貫の男子校があったので、男子の中には塾に通って受験する子もチラホラいましたが、すごく教育熱心な学校ではなかったです。先生も副教科系の先生が担任にあたることが多く、いわゆる学問面で大きなプラスはなかったです。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→毎年新学期に学習ドリルを本屋で選んで買ってもらっていた記憶はあるのでそれはやっていたのだと思いますが、勉強していた記憶がほとんどありません。好きだった漢字は小学校5年生か6年生で漢字検定3級まで取りましたが、勉強だと思ってやっていたかは謎です。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→進研ゼミは点数を集めてもらえるプレゼントと、理科の実験キットが欲しかったので自分からやりたいと言ってやっていました。当時流れていた「これは私が作りました」というCMに憧れて、日立製作所に入ることが夢だった私には実験キットがとても魅力的だったのです。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→母が英語を教えていた関係で外国人に触れる機会があったので、英語が身近だったことはなんらか影響がありそうです。あとは直接的ではないですが、幼少期からバイオリンをやっていたことで音感がよく、中学の英語のスピーキングコンテストで賞をもらえたのは、音感からくる発音の良さだったのではないかと思います。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にありません。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→母が本が好きで毎晩読み聞かせをしてくれていまいました。「ハイジ」「大草原の小さな家」といった長編も1カ月などかけて読んでくれていました。自分でも多少読んではいましたが、「こまったさん」「わかったさん」シリーズ、ロアルド・ダールなどが好きで、勉強要素があるものはほとんど読んでいないです。 

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→ロジックパズルやマインスイーパーなどロジカルに導き出せるものが好きでした。ロジカルに物事を考える、組み立てる楽しさはそういったものを通じて知った気がしなくもないですが、学業に影響するほどではない気もします。

Q:小学校時にに学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→小3の時イジメに遭い、登校拒否をしようとしたのですが、母が「学校は行かなくてもよいけれど、お母さんは学校に連絡しません。自分で先生に伝えて帰ってきなさい」と言われ、職員室に行き、先生に話した結果、登校拒否が失敗に終わりました。
あの時登校拒否に成功していたら、だいぶ違う人生を送っていたと思います。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→振り返って悔いも不満も特にないですが、勉強面で100%やり切っていたかと言われると、親に与えられた学力を使っていただけで、特に努力はしていなかったと思います。この頃からきちんと勉強に向き合って真面目に努力していたらなんらか結果が違ったであろうと思うため満点ではないな、といったところです。

4.中学時代※中学受験含む(配点25点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→考えませんでした。両親としては両親ともに卒業生である県トップの高校(公立)に行ければよいと思っていたらしく、「高校受験に耐えうる理解力と情報処理能力がありそうだったから中学受験をさせようとは特に思わなかった。」と言っていました。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→父の転勤で中2の1学期でアメリカに引っ越してからは、授業が一部選択制な上、全教科総合得点やランキングみたいなものは出ないので周囲との比較での自分のポジションがよく分かりませんし、誰が賢いのかも当時の英語力では雰囲気でしか分かりませんでした。
とりあえず、英語と社会は日本の中1の英語力では全く歯が立たず、A(一番良い評価)が取れなく悔しい思いをしていました。

※私のいた学区は小学校5年(1-5年)・中学校3年(6-8年生)・高校4年(9-12年生)の12年制だったので、日本で中1(7年生)を終え、アメリカで8年生に転入しました。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→日本にいた時のことは忘れましたが、アメリカに引っ越してからはアメリカ人に英語ができないことをバカにされるのが悔しくて、英語が分からなくても比較的勝負できる数学では負けないと常に満点狙い。その他の授業は宿題をやりきるので精一杯でしたが、「アメリカ人なんかに負けるか!」と意地でやりきっていました。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→アメリカが高校まで学区制の義務教育であり、かつ地域の財力で教育レベルが変わるので転勤時に両親が州で一番裕福=教育レベルの高い学区を選びました。先生も評価され入れ替わるので、教育熱心で教育環境としては恵まれていたと思います。医師、弁護士、大企業勤務の家庭ばかりだったので子どもの学力も平均的に高かったと思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

Q:それぞれの習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→親の方針で日本語のできないアメリカ人の先生しかつけてもらえなかったので、英語を簡単な英語にしてもらえませんでした。ただ、振り返るとそれはある一定の複雑度のものまでは英語を和訳せず、英語のまま考えられるようになった理由かもしれません。
毎週土曜日の日本語補習校は同世代と日本語で話せるストレス発散にしかなっていなかったと思います。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→中2でアメリカの現地校に転校して劣等感の塊だった時、ある先生が「大丈夫。あなたは日本でオールA(5)をとれていた子。バカじゃないのを先生は分かっている。」と言ってくれたことが心の支えになり、バカにされているのを感じても毅然とした態度で過ごせ、「いつか英語が出来るようになって見返してやる」と頑張れた気がします。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→日本で比較的優等生で通っていたところから、英語が出来ないことで一気に劣等生に転落したことは教育を超えて人生・人格形成に大きな影響がありました。とにかく早く周囲に認められたいと必死でした。その経験のおかげで精神的に強くなったと同時に、勉強する癖がついたと思います。


5.高校時代※高校受験含む(配点25点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→高校まで学区制の義務教育であったことから考えませんでした。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
→アメリカの高校では、飛び級まで行かなくても、一定の学力があると大学の単位を取得できるAdvance Placement(AP)という授業を選択することができるのですが、私もいくつかの授業はAPをとっていました。その上で高校4年間の全科目の成績平均が3.9/4.0以上でPhi Beta Kappaで卒業できたのでそこそこ優秀だったとは思います。但し、ハーバードや、スタンフォード、MITに毎年10人程度送り出し、学年の30-40%がミシガン大学に入る高校だったので、本当のトップではなかったです。
※私のいた学区は小学校5年・中学校3年・高校4年の12年制でした。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→日本の受験勉強的な勉強をそんなにしていたわけではありませんが、学校の成績が小論文やディベートでつく教科が多く、その場合、調べる・考える・書くは基本宿題。社会は自分の気になった新聞や雑誌の記事についてA4 1枚程度考えや意見を書いて提出することが宿題。また数学も授業は基本的に宿題の答え合わせと実験だけで、考えて解くのは宿題。といった感じだったので、課題・宿題をやるのにそれなりの時間を費やしていました。

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?

Q:それぞれの習い事はどう活きたか教えて下さい。
→アメリカからの帰国子女枠での文系受験は、①現地校の成績 ②推薦状 ③アメリカの統一テストSAT/SATII/ACTなど ④TOEFL を現地で揃え、受験校によって異なりますが、だいたい学校ごとに①日本語小論文 ②英語 ③日本語現代文 ④面接/口頭試問 があるのですが、日本語の小論文を書くスキルは日本語塾と河合塾で身につけたと思います。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→考えること、小論文を書くことの楽しさを知ったのは高校だったと思います。読んだり調べたりしたものをベースに、考えて仮説を立て、ロジックを組み立てて、小論文やディベートとしてアウトプットするというのが私には合っていたんだと思います。
先生が保護者と生徒に評価されるという仕組みがあり、入れ替えも起きていたというのもありますが、アポを取れば何度でも小論文のドラフトやロジックの確認をしてくれていた先生、学校の制度のおかげも大きいです。
高校時代が一番勉強しましたし、勉強が楽しかったです。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。個人的には、帰国子女というある種の特殊性よりも、ご両親がかなり早い段階から「一人の人間として自立」できるよう徹底されていたことに驚きました。それでもご本人が「突き放されている」という印象を受けていらっしゃらないのは、
①ご両親も勤勉で自分に厳しくそれが家庭の文化であったこと、また②毎日の本の読み聞かせや数学を自ら指導されたりと、愛情を核とした信頼関係が強固だったからなんだろうと感じました。

また、この自立心から来るものだと思いますが、勉強のモチベーションの源泉の一つでもある「負けず嫌い」の質が、所謂「日本の受験生」のそれとは少し異なっているのも興味深いポイントだと感じた次第です。

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