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【岐阜県】公立小中→(高校受験)→大垣北・浪人→一橋商 教育ログ5人目

0.今回の教育答え合わせさん

→公立の中学・高校から一橋商学部に合格された肉欲棒太郎さん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「振り返ってみると、結局”勉強の習慣”を身につけることができず、金銭的なメリットとモテたいパワーで培った中学までの地力で大学受験を乗り切ってますね。。。そういう人もいるんだ程度でご認識いただけると幸いです。」と語る肉欲棒太郎さんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→肉欲棒太郎

Q:年代を教えて下さい。
→40代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→いい意味で純粋でマイペース、悪い意味で空気読めない(読まない。周りに合わせない)子供だった気がします。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→一橋大学 商学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校→(高校受験)→大垣北高校→一浪(代々木ゼミナール)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?

→物心がついた時から、ただ言われるがままに、勉強する、宿題をするというのは苦手でした。目標や目的がないと勉強しないタイプで、大学でも興味ない科目は全く勉強しませんでした。
受験科目のうち、興味(面白くて)があって勉強したのは、数学と世界史で、それ以外は大学に受かるための手段として、割り切って勉強してました。
目的や目標が学業にない間は全く勉強しないので、いざ目標ができたときの勉強のスタートラインが周りよりも低いところからのスタートとなってしまうことが、大学受験においてかなり足を引っ張ったと思います。
一方、目標や目的が明確になった時の行動力は周りと比べてもある方で、それが大学に合格できた要因と思っています。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→大学が学業の最終ゴールと考えた場合、小学校・中学校で基礎的な能力が形成され、あとは本人のやる気や目標次第だと思います。特に小学校までにおいて基礎力を身につけられるかどうかは保護者のサポートも重要に思ったため、小学校までで60点(保護者のスタンス:小学校で半々)、中学・高校で40点としました。
 
高校に比べ、中学校の配点を高めに設定したのは、ここで落ちこぼれてしまうと進学校へ行くことが難しくなり、進学校以外の高校から難関大学に行くのはさらに狭き門になるためです。やはり子供のうちは周りの環境に影響を受けますので。
 
高校は志望校を設定するという意味である程度重要な時期ですが、学力という意味ではすでに中学までに基礎ができていれば、「やるか」「やらないか」、本人のモチベーション次第と思います。たとえ高校一年から三年間勉強していなくても、基礎力と時間さえあれば、なんとかなるのではと思っています。


2.保護者の教育スタンス(配点30点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:MARCH中退
母:高卒
兄:Fラン大学中退
弟:専門学校卒

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→ 特に何か教育方針があったわけではないです。ただ、家族の中で頭が良かったので、「こいつ賢いな、勉強させようか」くらいの感覚だったと思います。
 
勉強自体に興味がそこまでないので、テストで100点とったら、テレビゲームのソフトを買ってもらう、ゲームやる時間を伸ばしてもらう等、人参ぶら下げて勉強をさせていたという感じだと思います。
 
もちろん、このインセンティブ(賞罰)は兄弟全員に同様に設定されていたと思うのですが、他の兄弟からはその水準が高すぎて、モチベーションにつながらず、私個人としては楽にクリアできる水準だった記憶しています。
 
両親とも高い学業を修めたわけではないので、目標設定も適当で、たまたま私に嵌ったんだろうなと感じます。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→勉強はあくまでも自分が得たいものの手段にすぎず、勉強それ自体を楽しんだり、目的もなくやることはしない、というスタンスになったと思います。
 
そのため、自分自身なぜ勉強をしなければならないかという目的がないと、勉強をしない(何かを学ぶことが習慣化されていない)ので、「希望の高校に入るため」、「希望の大学に入るため」等の目的が明確でない時期はあまり勉強していなかったと思います。
 
大学入学後も、「大学でコレを学びたい」と思えるまでは、まったく勉強しませんでした。(ずっと遊んでいたわけではなく、大学2年の中頃からは真面目に大学生やりました)

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→両親は共働きで子供の学業をフォローする時間もなく、基本的には放任だったと思います。親としては兄弟含め子供に勉強をさせることは一つの課題だったとは思いますが、こいつ(私)はなんかインセンティブ与えておけば勝手にやるだろうと思われてたんじゃないかと推測してます。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→私の場合はやはり「ご褒美」で勉強なり、その他習い事をこなしていたので、いわゆる「インセンティブ」を与えられたことが、学業をする原動力になったのではと思います。
 
勉強そのものではなく、勉強したら、いい成績とったら、いいことがある+自分にとっていい成績をとることはそこまで苦と感じなかったことが上手く嵌った結果だと思います。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

学業そのものの助言や、学業ができるようになるように両親が主体的に働きかけていたもらったわけではないですが、(たまたまうまく嵌った)「インセンティブ」が良かったと評価しました。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点30点)

Q:小学受験はしましたか?
→してないです。そもそも近く(通える範囲)に私立小学校はありませんでした。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→ あまりはっきりと覚えていないのですが、小学校中学年あたりから、「インセンティブ」の付与があったと思います。その時は兄が小学校の高学年で中学を前に勉強しないので、賞罰を与えたことがきっかけで弟にもついでに設定したように記憶しています。
 
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親:(兄に対して)「次のテストで○○点とったら、○○買ってあげる。だけど○○点以下だったら、ゲーム禁止ね」
 
私:「お兄ちゃんばっかりずるい!僕にもそういうのないの?」

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→特に何かをしたわけではないですが、「これくらいやっておけば、ご褒美もらえるでしょ」くらいの感覚で勉強していたと思います。テストの点数にならないようなもの(生活科や道徳)は、話を聞いていたのかさえ怪しいです。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→田舎の一学年一クラスの小さな学校だったので、全体的に勉強をしなければいけないという雰囲気ではなかったともいます。みんな仲良くのびのびとした学校だっと思います。元気いっぱいでのびのびしすぎていたので、なぜか体育の時間が多かった気がします。(黙って授業を聞けない子が多い)

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

学業に直接かかわる習い事はありませんでしたが、今思えば剣道を通して精神力をここで鍛えられたことが、後々大きく活きています。理不尽に竹刀でボコボコにされますので。また、個人競技なので、「どうしたら勝てるか、相手が面を打ってきたらどうするか、相手はこういう攻撃をしてきそうだ」と考えていましたので、そこも学業の基礎に大きく貢献したのではないでしょうか。頭を使っても負けたら、頭叩かれるんですけど、、、、はい、やっぱり理不尽ですね。
 
この剣道教室も最後にジュースが配られるのですが、毎日それを楽しみに理不尽に耐えていました。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→上手くなるには、相手に勝つには「考えること」が必要なので、「考える」習慣が身についたのだと思います。どうやら、相手の行動を予測する、相手の嫌がることをするような剣士だったようです。(自分ではそうは思ってないですが)

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にないですね。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→ほとんどしていなかったと思います。漫画やアニメ、ゲームの攻略本が中心で、いわゆる書籍や小説を面白いと思って読み始めたのは大学に入ってからです。
 
なお、両親は共働きだったこともあり、本を読んでもらった記憶もありません。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→テレビゲームと少年野球、剣道です。剣道は若干やらされている感は少しありましたが、ゲーム時間の確保(延長)、新しいゲームを入手するために勉強を要領よくやっていました。

Q:小学校時にに学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特にないですが、同じように遊んでいる友人(テストの点が悪くて親に怒られた)から対して勉強していないのにお前はなんでいい点数が取れるんだよ!お前、コソコソ勉強しているだろ!言われていた気がします。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→学力の基礎に関してはここでほぼ仕上がったといえる時期で、インセンティブ(目標)があれば頑張れる、要領よくこなしていくことが身についたと思います。また、運動系の習い事で体力、精神力も鍛えられたとともに「考える」ことが習慣化されたと思います。これが大学受験を乗り切った基礎となっています。

4.中学時代※中学受験含む(配点25点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→小学校の担任から私立中学(東海、滝)の受験を薦められたように記憶していますが、一人で通える範囲ではないので私も両親も検討さえしてないです。
 
小学校の担任もここから通うのも無理だとわかってますし、両親や地域に周りの人を含めて「中学受験」というものが世の中にあるということ自体知らなかったと思います(田舎なので)

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→もともとはインセンティブだけで勉強していましたが、中学あたりから、勉強ができるとちょっとモテるということがわかり、成績を維持しようというモチベーションになりました。
インセンティブがゲームから金銭になったと思います。5教科合計450点以上(500点満点)であれば、5,000円~10,000円(あまり正確に覚えていないです)だったように思います。お年玉と合わせてCDやMDプレイヤー等を買ってた気がします。なお、中学の定期試験でこのラインを下がったことは一度もなかったです。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→中学は小学校の規模から7倍(一クラスが七クラス)になり、試験順位を気にする人からライバル視されたりしました。
(インセンティブを得るために順位は関係なかったので、学業には関係していないです。煩わしいなと思ったくらいです。)
また、田舎中学は頭いいとモテるので、それも原動力になったと思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

授業中(特に試験のない授業)にコソコソ勉強していたので、授業を除いた学習時間です。試験期間前はもう少し増えますし、試験後はほぼゼロですが、一年を通した平均だとこれくらいかなと思い記載しています。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

※その他、公式野球で、中一から、中二まで、学習貢献度は剣道と同じです

運動系は体力・精神力の形成、塾は勉強時間そのものが伸びたことに影響があったと思います。ただ、塾については周りがみんな行っているので行っていたという意味合いが強かったです。
塾で勉強するというよりも、勉強は授業中にやって、塾は友達と一緒に勉強をするという環境を楽しんでいた(終わった後に遊びに行く)という印象です。行かなくても高校は受かったと思います。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特にないです。田舎の公立中学は本人の希望というよりも、成績順に公立高校に振り分けられるだけなので、特に当時の担任と協議することなく、「北高だよね?頑張って」と言われた記憶しかないです。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→大学受験までの基礎力は小学校で形成され、中学で習慣化すべきものと思います。中学時代の成績はずっと良かったですが、スムーズな大学合格をゴールと考えるとここで、学業の習慣化がつけられなかったこと後々大きく響いてきますので、大きく減点しました


5.高校時代※高校受験含む(配点15点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→無理なく通える範囲に評判の公立高校があったため、検討すらしていないです。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→各学年のはじめをベースに記載しています。中学の成績は良かったので、上位にはいたはずですが、その後、具体的な志望大学を受験するまで、対して勉強していなかったので徐々に成績は落ちていったと思います。進学校怖いですね。
後述しますが、2年の終わりに猛勉強し始め、3年の終わりには上位5~10%まで伸ばしたと思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

授業を除くと絶対やらなければいけない宿題程度でした。受験が視野に入ってきたところ(目標大学を設定した後)からは、空いている時間のほぼすべてを勉強に当てているような感じです。

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?

高2の終わりに希望大学を設定したタイミングで、その大学に受かるためには圧倒的に学力が足らないことがわかりました。そのため、高校1年生の範囲から教える塾に高3から通い始め、高3の一年間で高校1年から3年までの範囲をすべて勉強しました。

高校3年の受験前までに合格水準(模試でB判定)まで学力を上げたので、浪人時代は代ゼミの特待生(無料)でした。春から夏ごろまではほとんど、勉強していませんでしたが、夏の模試の結果があまり良くなかったので、そこから再度勉強するようになりました。高校3年生の時が最も勉強をし、浪人中はどのテスト、教科でも一定の点数をとれるように苦手科目、分野を中心に勉強していたと思います。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

今思えば、高校に入ってからはテストのインセンティブよりも普通にバイトしたほうが金銭的なメリットがあった点。(さすがに進学校の定期テストで9割以上の点数を取るのは無理)また、進学校は多少勉強ができても大してモテない(むしろ他のことに熱中していた方がモテる)ことから、成績は徐々に落ちていきました。
 
進学校は勉強する習慣が身についていないとすぐに落第していく怖いところです。結局最後まで、「勉強する習慣」は身につけられませんでしたが、友人と一緒に目標に向かって勉強を頑張る!という青春ポイントのみで5点としました。

5.答え合わせを終えて

→振り返ってみると、結局「勉強の習慣」を身につけることができず、金銭的なメリットとモテたいパワーで培った中学までの地力で大学受験を乗り切ってますね。。。そういう人もいるんだ程度でご認識いただけると幸いです。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。親が子供に対して勉強の動機付けを行うのは、程度のこそあれそれなりにあることだと思いますが、それが一橋に受かるだけの基礎学力の土台になっているとは!!とかなり驚きました。

幼少期から「物心がついた時から、ただ言われるがままに、勉強する、宿題をするというのは苦手でした。目標や目的がないと勉強しないタイプ」だったとのことなので、この性格を見抜いた上でのご両親の”インセンティブ”戦略だったのかなぁと勝手ながら推測させていただきました。

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