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ライブ配信の価値のひとつ: もやもやとした答えがない話

生活の中でもやもやすること。

1つや2つにおさまらず、結構な数のもやもやに出くわすものです。

もやもやについて考えたりするわけですが、大抵その場で結論を出せないことが多い気がします。もやもやが、もやもやと呼ばれる所以なのかもしれません。

もやもやの共有はライブ配信の価値提供のひとつかもしれない

発信方法の一つにライブ配信があります。

ライブ配信ではチャットという文字を通じて視聴者が配信者へほぼリアルタイムにフィードバックを送ることができます。

配信者と視聴者の相互作用により、思わぬ場所へ着地する。予定調和にならない。これはライブ配信だからこそ可能な表現のひとつではないかと最近思うようになりました。

この価値を最大化させるひとつのアイデアはこの「もやもや」を場へ提供することです。

配信者にとっての価値:

文章で「もやもや」を表現するのは意外と難しいものです。

しかし、ライブのような撮り直しができず(巻き戻せず)その場で臨場感あふれる表現を介す場合であればこのもやもやを表現することができます。

もちろん、日本語があやふやになったり、齟齬や矛盾が生じたり、ようは「かっこ悪い」姿をみせることになってしまうかもしれません。

しかし、わけがわからないことを無理やり成型することで「ああ、じぶんはこう考えていたんだ」ということを再認識する機会へ繋がり、答えへ辿りつかなくとも「もやもや」がもやもやしなくなる可能性がぐっと高まったりします。

その場に視聴者が1人でもいて、話を聞いてもらえる実感を得たり、またはチャットを通じてじぶんが考えも付かなかった示唆を得ることで、思いもよらない方向へ議論が進み、新たな発見へ繋がることもあります。

視聴者にとっての価値: 

もやもやには答えがありませんから、それぞれの視点で語ることが許されることになります。つまり性質上、心理的安全がはじめから確保されているのでチャットが書き込みやすい、という利点があるかもしれません。

視聴者自身もチャットは「表現の場」となり、文字を書き込むことでおなじく「じぶんはこう考えていたのだ」という気付きが得られます。

また、配信者は答えをもっていませんから、チャットを通じた発言は配信者へよりダイレクトに届くことになりますし、配信者を比較的強めにコントロールすることもできたりします。この点は良し悪しかもしれませんが、「視聴者が視聴者としてそこに存在する価値」が強まり、より高い満足感が得られるかもしれません。

ライブ配信ならではの価値

もやもやしないもの、つまり答えが既にあるものは表現しやすいです。

答えが決まっているのですから、「とても教えるのがうまい先生」が1人いればよく、彼が1本の動画を上げてくれれば、多くの人はそれを好きなときに視聴すればよいのです。

ライブ配信という相互コミュニケーションを通じた世界では、「答え」を表現することはおもしろみが半減してしまうかもしれません。綺麗で明瞭な答えはすでに先生によって作られ、どこかに転がっているからです。

「じぶん」というフィルターを通じてみる世界はオンリーワンとなります。もやもやとはまさにこのオンリーワンを構成する一要素ですから、たまたまそこに集まった人たちと共有し、あらぬ方向へ話が進んでいく、その場でしか生まれない何かが起こります。

もやもやの共有はライブ配信の価値提供のひとつかもしれない、というお話をしました。

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