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手のひらサイズの「使命感」
こんにちは、人生習慣をつくるグラスプコーチのKenseiです!
みなさんは「使命感」と聞くと、どんな印象を持ちますか?
何となく使うのをはばかられるような感覚ってないですか。
自分とは少し遠いような、大きすぎるような...
今日はこの「使命感」という言葉を、普段とは別な角度から味わってみようと思います!
1.「使命感」の辞書的意味
それではまず「使命感」に関して一般的な意味を確認。
(デジタル大辞泉より)
使命感
自分に課せられた任務を果たそうとする気概
僕はなんとなく、デッカくて少し窮屈そうな感覚が浮かんできました。
良い言葉という感触もあるんだけど、やはりちょっと使いづらいなと...
何かモヤモヤする。
で、モヤモヤを覗いてみたらこんな感じに整理できました。
①外発的である
”他者"が起点(自分以外の何か)
②義務感臭がする
~したい、ではなく、~ねばならないって感じ
③壮大な感じ
大義がないといけない感じ。遊ぶことに使命感って使わない。
僕は自らの意志で楽しく生きたいと思っている人間なので、この外発的で義務的な感覚はイヤなんだなぁと、まとめていて気づきました。
あとマッチョ感笑
いきなり僕の使命は「〇〇だ!!」なんて言われると、「お、おう」ってなっちゃうような(この感覚って何て呼べばいい!?)
2.手のひらサイズの「使命感」
さて、ここからが本題。
僕なりに”しっくりくる”ように味わいなおしてみました。
(Kensei的解釈)
使命感
命を 使う 感覚
はい、文字面のままですね笑
でも全然違うんですー!!Σ(゚д゚)
先ほどの辞書的意味との異なる点は、
①外発的ではなく内発的ニュアンス
与えられたのではなく、自分の内側から湧いてきてる感じ
②義務感ではなく願望動機
~ねばならない、ではなく、~したい
③傍から見るとちっちゃなことにも使える
大義はなくてもOK
めっちゃ完結な言葉に置き換えるなら、
今、やりたいことに全力を出し切る感覚
という感じでしょうか。
やりたいことを全力でやり切ったときって、内側から何とも言えない充実感や達成感みたいなものが溢れてきませんか?
この感覚が「命を使う」という表現として、しっくりくるなぁと。
セッションをやっていても「全力で向き合い切る」ことが出来たときに、やはり「今、命を使えた」と感じるんですよね。
つまり別に大層なことをやらなくても、今この瞬間を全力で生きることができれば、命を使っている感覚が生まれてくるんじゃなかろうか。
大義なんて必要ない。
遊びにだって、使命感という言葉は使えるはず。
嫌なことをしぶしぶやるより、夢中になれることに命は使いたい。
今と自分にフォーカスを当てた"手のひらサイズ"の「使命感」だったら、たま~にでも味わう瞬間があると、人生ちょっぴり豊かになるような気がしました。
人生という命は有限。
今この瞬間も、命は消費されている。
受動的にしろ能動的にしろ。
そこにどれだけの実感を持てているかって、案外大切だなぁと思います。
もし「~しなければいけない」という"他人発"の義務感で苦しさを感じるなら、自分の為だけに命を使う時間を取ってみてもいいかもですね!
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