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孤独

20200602

人は、動物的にというか、命の仕組みとして、必ずマイノリティになるんだと思う。

どの一瞬を切りとったって、その一瞬の各自と同じ命はない。

誰ひとりとして、マイノリティというか、孤独。

ああだこうだと移り変わる欲にまみれながら、圧倒的に一人。

いっぽうで、組織/集団といった社会の中で生きるときは、マジョリティとしてというか、何かに調子を合わせる必要が出てくる。

一人一人ではなく、塊の一部として、自らをさしだす。

どちらがいいとかではなく、どちらもある。

ただ現代の、今僕が生きている日本をベースに考えると、孤独に欲にまみれた自分を、おさえこむ場面が多いのかなと思う。社会優位。

すくなくとも僕自身はそうだったと思う。

だからまずは、社会から動物へ、集団から孤独な側へ、重心を移すために何ができるのかを考える。実践する。

そこから次は、動物から社会へ、孤独なもの同士が集まって生きることを考える。実践する。

そして、社会⇄動物の間で自在に重心移動をする、なんなら身体(=重心)自体をつくりかえる(たぶん大事なのは、決して止揚しようなんて思わないこと)。 僕が取り組む、
言葉にしたって、瞑想にしたって、スパイス料理にしたって、妻の鍼灸治療にしたって、妻と娘と考える夫婦/親子のあり方にしたって、

社会⇄動物のあり方を、できるかぎり変容させたいんだなあと思う。

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