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息づかい

20201211

ここ数日、書を書くってことが、随分と楽に、随分と楽しくなった。

書に対して力入っちゃってるかもと、数日前に気づいてから、変えたことは2つ。

1つは、1枚しか書かないこと。

臨書なり課題なり自分の文章のタイトルなりを書く。

その時、特に臨書や課題はお手本があるから、1枚書いてから、ああこうしたらよかったと、つづけて何枚か書きたくなる。

それをやめた。

あくまで、自分の体と筆や墨、紙が生み出した点や線を、受け容れる。そして、1枚にだけ、力むことなく集中する。

そう決めてから、気張らずに書けるようになった。

複数枚書くと、どうしたっていいモノを書きたくなる。

それが、まだまだこんなもんじゃないと追究していくことなら楽しめるのだけど、評価の追求になってしまうと苦しくなる。

その追求を断ち切って、追究するために、一枚しか書かないと決めた。

変えたことのもう一つは、目を瞑って書くことをはじめた。

お手本があるものについては、お手本と、自分の体の具合や呼吸とを、すりあわせて書いてみてる。

それに対して、自分の文章のタイトルは、お手本がない。

日々書いてる動きを、その都度目で追いながら、こんな形や配置がいいかなっていう計算をして、これまで書いていた。

その視覚的な美意識を一旦捨ててみたくなった。

最低限、ことばとしての意味、読めるようにはしたいけど、それ以上の視覚的な美学から少し離れてみようと、目を瞑って書きはじめた。

これが、また、楽しい。

字として、イメージする形はある。それを目を瞑って書く。字の形、軌道を、体が追いかける。

そして目をあけてみると、まあ書こうと思ってたモノとは違ってる。

筆で書くから、息遣いや強さ弱さが露骨に現れる。

その具合が、今の僕にはおもしろい。

他人の評価を傍において、それでいておもしろいから、今日も書くぞ!とその時間がくるのがうれしくなる。

書をはじめて、もうすぐ一年になるけど、しみじみとはじめてよかったなあと思う。

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