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てんしょく

20210731

以前の会社を辞めて1年半になる。勤めてる間から、自分が何が変わったのか。書いてみる。

辞めてしばらくの間も書いてたはずだし今更なのだけど、すこし時間が経った今、あらためて手が動きそうな気配を感じたので、書く。

といっても、何かができるようになったとかそういうことを書く気はない。

これはただの自分の趣味趣向、フェチの問題ではあるが、その手の具体性にはワクワクしない。できない。かといって、抽象にすぎる空中戦をするつもりもない。

至極面倒極まりないのだけど、身体と呼びたくなる具体を伴いながらの抽象っていう綱渡り、そんな曲芸が生まれる瞬間瞬間に興味がある。

まあ、そんなことは置いておいて、少し前に友人と転職ってことについて話していた。転職するってことはどういうことなのだろうかと。

その友人は「スキルアップじゃない?」と言っていた。僕はそれは何か違うんじゃないかなって気がして、「うーん」と答えた。

ただ、その時には何を違うと思ってるのか、言葉として差し出せなかった。

違うと思ったのは、そもそもその友人が研究していた内容が前提にあった。作家が設計し、職人が作る。その関係性を研究していた(はず)。

大掴みに言ってしまえば、どれだけ特徴的な作家たちがいようと、協働する職人集団/生産体系が同じならば、形式が通底する。似通ってる。

そんな友人の考察のうえに、転職ってことを考える。

会社なりの組織を考える時に、誰を作家だと/誰を職人だとするかはなんとも言えないところではある。ただ、すでにある会社には、生産体系が存在するってことは言える。

そうでないと利益を生み出せない。

そのうえでまた先の疑問に戻る。所属する人間は作家なのか/職人なのか。

これは各会社の体制で違うように思う。そして、僕がいた会社は、作家的なポジションと職人的なポジションが入り混じったように各人を扱っていたような気がする。

比率は人それぞれでも、どちらもがあるように。

ここまできて、友人の「転職はスキルアップ」の、何に疑問を覚えたかがわかるのかなと思う。

スキルアップって言葉に、僕は“洗練”みたいな印象をうけた。それはすでにあるものを同じ方向に、より伸ばしていく。

たぶんそれは、職人的なあり方でだけ組織に貢献していたのであれば、納得ができる答えだったんだと思う。

ただ先に書いたように、職人と作家が混ざった貢献の仕方であれば、“洗練”だけではいられない。

作家は、既存の生産体系との関係を、そのつど壊してはそのつど作る関係としてあるはずだから。

常に新鮮で、一向にうまくなることのない関係性。そんな稚拙なフレッシュさを技術として持つ必要がある。

そうして前の職は、生産体系との向き合い方の一事例となり、次なる職でまた新たな出逢いとともに関係性を築いていく。

ここに固定的なスキルアップっていう概念がそぐわなく感じたんだと思う。

転職を、強いて言葉にするなら、“未知(の生産体系との出会い)にワクワクすることであり、対応力を身につけていくこと、対応そのものになっていくこと”だろうか。

壊し作っての接木。
それはとどのつまり、この身体は何で、どうなるのか。それをひたすらに丁寧に思い出していく作業なのではないか。

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