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ケアと作品(ZORN/島崎智子)

20201207

大人になってからというか、ある程度歳を重ねてから好きなったミュージシャンに、ZORNや島崎智子なんかがいる。

2人の共通点は、それぞれの自分の日々に、徹底的に寄り添っていることだと思う。

その寄り添った記録が作品として、誰かの傷を癒す。

東畑開人『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』という本がある。

僕は去年読んで、最近妻が読んでて、このところ話題にあがる。

ザックリとまとめてしまえば、ケアは日常についてのやりとりであり、セラピーは非日常についてのやりとり。

そして、しっかりとしたケアがあった上で、セラピーは成り立つ。相手にとって、もしくは仕組みとして、セラピーの効果が発揮される。

ZORNや島崎さんの歌には、自分自身に対しての徹底的なケアがある。

曲ごとで、多少の角度の違いはあるかもしれないけど、ケアをしてる点では変わらないと思う。

そんなケアの集合体が、なぜか他の誰かにとってのセラピーになる。誰かの傷にブレイクスルーがおきる(それは楽なだけじゃない、痛みもともなう)。

日々の自分へのケアが、誰かにとってのセラピー(作品)になることを、ZORNや島崎智子さんの歌は教えてくれる。

そう思うと、作品が作品でいられるのは、ほんの一瞬なのかもしれないとも思ったりする。

前提として、作り手がひたすらに自身のケアをしつづけた記録がカタチとしてある。

そのうえで、受取り手にセラピーとしてのブレイクスルーが起きる。

その瞬間にのみ、作品は作品として存在する。

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