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地に足がつく体もまわりも喜ぶそれは料理

20200926

料理をつくるっていうのは、地に足をつけるって意味で、僕にはとても大切な時間だと感じる。

僕の思考というか、ひらめき、直感のたぐいは大体飛んでるような自覚がある。浮足だつどころではない。

しかも共通理解をとれるようなゴールにむかって飛ぶわけでなもない。

心地よいままに飛んで、飛ぶことじたいを味わってる。

そんななかで、一日に一回以上料理をすることで救われてることが多くある気がする。

その自分の救いで、妻や娘がよろこんでくれるのだから、こんな都合のいい話はない。

つくったものを自分で食べるってのも大きい。

体が食べ物でつくられるってことから考えても、物理的な自分の体に関心をむける機会の一つ(ただ単に外食すると大抵のお店で体調悪くなっちゃうから食べられないってのもある)。

体をつくってくれてるものの連鎖に思いを巡らす。

それは畑のお手伝いさせてもらってることも関係してる。

我が身をうごかすことが、これから移り変わる命とつながるっていう自覚。

日々のひらめきの着地点として、家庭や家族がいてくれたり、体への関心がある。そして、その座標として料理って行為がある。

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