夜勤
20210901
朝、娘を保育園に送る道中は、デイサービスの送迎車とよくすれ違う。
職場の車だ。
守秘義務やらの関係で中々様子に触れられないから、わざわざ書くこと少ないけれど、前職を辞めてからの1年ちょっと、近所のデイサービス/老人ホームの夜勤をしている。
何して働くとか、何で食っていくとか、そういうことを何か決めていたわけでは全くないままに、前職は、とりあえず、辞めた。
この身体を根こそぎつくり替えないと、生きることがはじまらないような、落ち着いた焦燥感にかられて、辞めた。
辞める時に、しばらくの間、就職はしないと決めていた。自分の持ってるモノで食っていけるとも特別思っていなかった。
今の僕がどこかの組織に属しても、とりあえずの空気の読みあいでその場をやり過ごしてしまうような、そんな働き方しかできないだろうと思っていた。それはダメだと。
そんな検討のうえに、日々の活動が、食っていくとかそういうことと無縁でいられるよう、身の回りを整えようとしていた。時間を切り売りするようなことができるかぎり少なくて、最低限必要なお金を手にできる、そういう職場。
そんな具合にああだこうだしていたら、今の夜勤のお誘いをいただいた。
陽が出てる間は、自営と、妻と娘をサポートする。陽が沈んでる間に、おじいちゃんおばあちゃんの元にお金を稼ぎに行く。
そんな生活が確立して、今に至る。
…脱線した。
僕が夜に通う、デイサービスの車が、保育園の登園がはじまるくらいの時間になると、動きはじめる。家々をまわって、利用者の方々をピックしていく。
デイサービスって保育園と同じなんだなあと、急に思う。
利用者の方の日中の様子を僕は知らないのだけれど、一堂に会して、職員さんたちとなにやら楽しく過ごす。
娘も、友だちと、先生たちと楽しく遊んで帰ってくる。
どちらも、周囲の補助がないと、生活が成り立たない人たちが集まってくる。そんな人たちと一緒にいてくれる人がいる。そして、助かる人がいる。その助け合いに金銭が発生する。
保育園も、デイサービスも、どんな歴史をたどってできたものなのか、僕は知らない。
近代とか、資本主義とか、そういった社会の潮流の中のひずみから生まれたサービスなのかもなあと想像したりする。
結論めいたモノにたどり着けはしなそうなのだけど、お金ってモノを、実態として掴んだような、そんな気配が車と一緒にすれ違う。
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