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田んぼ

20200604

長野にきてから5年たったが、そのうち3回、お米をつくった。
つくったといっても、気をみはからって、まわりの人たちの助言をうけて、それでどうにかこうにかなっていた程度のことではある。

今年は、お米をつくっていた場所と縁がなくなってやめてしまった。

また縁のある場所で、よきタイミングで再開するかなあとボンヤリ考える。

汗を流して自然とともにあるような感じは(田んぼなんてゴリゴリに人工よりの類いだれども)、気分がいいし、何かいいことをしているような気にさせる。

その一方で、まあ面倒な気もしていた。

というのも、仕事の休みとか合間をみてとりくむことへの負担を感じていた。時間におわれながら自然につき合うきつさ、とでもいうか。

無農薬・無肥料でやってたから、なおさらそうだった。仕事しながらやるもんじゃねえなあと思っていた。

体力的に、特にきっついなあと思っていたのが溝切り。

稲の収穫前に、機械がはいれるように、水を抜いて土を乾かす。

何も手を加えず乾いてくれればいいのだけど、田んぼの中の地形、高低差なんかで、水がたまってしまう場所がある。

そこでたまった水を出口までいざなう道をつくる。鍬なんかで稲と稲との間に溝を掘り進める。それを溝切りという。はず。

ある程度見立てをたてて掘るのだけど、結局その一回分の見立てではおさまらず、何回かやることがザラだった。

その最初の見立ての、一回目の作業がキツイ。

硬くて、重い。ズッシリくる。地面はぬかるんでいて足が取られる。余計にしんどい。

一回掘った溝は、しばらくたつと、埋まっていたりする。水や土の流れでならされるのか、水の流れができるほどには、凹みがなくなる。

それで、1度掘った溝をなぞって、2度、3度と掘る。これは楽。随分とちがう。スコッスコッと軽い。

稲刈りタイムにどうにか間に合うかなあとほっとしながら、教訓めいたものを勝手に感じとっていた。
「初めてのことをやるってマジで大変」
「どういう形であれ一回やったことをもういっかいやるのはスッゲエ楽」

初めてのことって、まわりの影響でも自分で決めた気になったことでも、まあ偶然の産物だよなあと思う。偶然をハントする力というか。

それでどういう経緯であれ、1回辞めたことをまたはじめたり、変形させて別のかたちで新しくスタートさせる。そのときに、楽やわあと感じられる。スンナリいく。

偶然に感謝することになる。

水のこと、土のこと、地形のこと、草のこと、雑草のこと。

子どもの頃の外遊び以外だと、これらを体を通した実感したのは、3年ばかりの米づくりがほとんどだなあと、振り返る。

幸い決まった時間で動かないといけない生活はしていないし、時間におわれない中で、あらためてやりたいなあと思う。

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