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お金という対等

20200911

元プロ野球選手・監督の落合博満と、プロ野球選手の山川穂高との対談動画をyoutubeでみた。

冒頭に山川が「監督さんに使っていただいて…」と言い、それに落合が「使っていただいてはやめな」と返すシーンがある。

感謝しなくていいとか、傲慢であれとか、ではないのだと思う。

必要以上に下手にでることはない。選手、監督、それぞれの立場のベストがある。対等に契約を交わした者たちが全力をつくす。

監督経験のある落合は、そういう対等な関係性についてふれたかったのかなと思う。

あくまで監督は監督という仕事のベストを尽くす。

そのベストの中に使う選手と使わない選手がいる。

立場として、選手は監督に選ばれるっていうことがあるけど、でも監督は監督で、自分のチョイスで結果が出なければ解雇、クビが待っている。

そうやってお互いへのリスペクトのうえで切磋琢磨する。僕からすると風通しのよい間柄にみえる。

落合のいう監督と選手の関係をみながら、商いにおける買う人と売る人の関係も、そうなれるかなあと想像する。

仕事、お金を介したやり取りの中で、どこかで我慢が発生するってことが仕方ないことだとすりこまれてるなと思うことが、度々ある。

お金には我慢が伴うっていう結果、必要以上に、お金を崇高に扱ってしまう。
風がふきづらい、粘っこく重たい感じ。

商売、交換の原理は至極明快でカラッとしている。

売り手の提示するものと買い手のニーズ。
それらに対して両者がお互いに納得すればok。それ以上でも以下でもない。

一回一回の出逢いと奇跡を大切にする。それを繰り返す。

こう書きながら、ぼくはしみじみと、対等ってことに対する憧れが強いのかなあと感じる。

対等でありながら、生きることを満喫する。その延長に、お金の稼ぎ方も、たぶんある。

心地よいままに、じゃぶじゃぶになる技術。

お金とうまく付き合うっていうのは、対等で生きる技術の大きなひとつでもありそうです。

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