ふと
20210807
先日初めてお会いした方から「ツイート感動しました」と言ってもらった。
なかなかそんなことを言われる機会はないものだからテンパる。そしてすごくうれしい。
話を聴くに、1、2ヶ月ほど前に書いた文章のことを言ってくださってるようなのだけど、書いたこちらは覚束ない。
感動してくださってるのだから、きちんと対応したいのだけれど、覚えていないものは覚えていない。
書くと忘れちゃう。というか覚えてたり、すでに引き出しにあることを書いてるわけではない。面倒なことに、そういうすでに確定されたモノの確認作業として書くことが僕にはできない。
ふと気になること、ふと身体が揺さぶられること。そんな正体不明の“ふと”が、ふいに現れる時がある。それをさっと捕まえる。ハンター。
それが、何かを考え、手を動かすキッカケになる。捕まえたモノを手がかりに書き出してみる。その流れに身を任せてみる。そして一連の言葉の連なりができる。それは結果として、ひとまとまりの文章になる。
ありがたいことに、そこに何か主張を見てくださる人がいる。
ただ書いている身としては、なにかありがたそうな結論めいたモノを書こうなんてさらさら思っていない。
書きながらどこに着地するのかさえよくわかっていない。今書いているこれもそう。
あくまで書くって行為、運動を通して、意識の上では存在していないナニカを、この場に召喚しようとしている。あるいは身体の奥底にあるはずのモノを引っ張りだそうとしている。
極めて自己中に。この身にやってくるモノを迎えいれるために。その場所を用意するため。書いている。
とはいうものの、こうして書いたモノが誰かの感動を呼び起こせたのなら、とてもうれしい。
もしかしたら読んだ方にとっての“ふと”が現れるキッカケになったのかもしれないから。
そして、願わくば、その捕まえた“ふと”をご自身の方法で調理してくだされば、なおうれしい。それは言葉ってかたちでもいいだろうし、何か別の、それぞれにとっての適切な方法もあると思う。
僕の文章はどこにも導かない。ありがたい教えもない。カリスマ性なんて糞食らえだと思ってる。
ただ、ご自身の“ふと”を捕まえて、まわりまわって幸せだなとなる。そういうキッカケになればいいなと願っているだけです。
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