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ふところ しゃかいとどうぶつ じゆう せきにん (東浩紀『哲学の誤配』)

20200513

東浩紀『哲学の誤配』、第2の対話まで読む。

これまでの主著の概要をつかめ、それでいて、それらの内容について2020年時点(?)での著者自身の応答もわかるようなインタビュー。

まず、読みやすい。
内容は、政治に対する距離というか懐の深さや、社会と動物との間を行き来する人間像、そのことにまつわる自由をめぐっての言葉が魅力にうつる。

僕自身の政治に対する距離は最近で急に変わった。コロナにまつわるいろんな動きを目にするうちに、「あれ政治って何だっけ...」と急に気になり、立ち止まる感じだった。遅々としてしまっている感じに、居心地の悪さを感じていた。

自分ってどんな生き方や生活がしたいんだっけってことと、他の人ってどうなんだろう、そしてそれをまとめる政治って何だ?ってことが、急に自分ごとになった。

これまでは、浮ついていたというか、義務感、考えなきゃって意識でいたような気がする。自分の中に積極性みたいなものがないから、どこを選ぶかってことくらいしか、気に留めてなかった(僕の場合)。 自分の生活をみつめた上で、支持する/しないってこととは違う、別のやり方ってなんだろうって思っていて、東さんを思い出した。

SEALDsとの対談動画だったり、『観光客の哲学』などでの、発言や考え方が、急に身近に感じられた。見たり、読んだりした当初は、頭いい人だなあくらいにしか思ってなかった(申し訳ないです...)。 そういう実感とともに、本著でのインタビューを通してこれまでの東さんの活動を見させてもらうと、うわあすげえ!となる。
自分の立場なら何ができるだろうと、ああでもないこうでもないと動き出したくなる。

原発事故への対応をめぐって、多くの家庭の中に「政治的」対立がおきたっていうのも、そうかあと。いまは家庭を持つ身だけど、当時大学生で、そういったことへのリアリティが全然なかった。

「責任」についての考え方もおもしろかった。
「責任」ってものが白か黒かでなくて、グラデーションがあって余裕があることの豊かさ。

直感だけど、子どもを生み育てるってことを考える時、「責任」のグラデーションというか、中途半端さ、ものすごく重要な気がする(子育てに奮闘して疲れ切っているのもたぶんにある)。

 ご自身で経営されるゲンロンカフェの話、みずから居場所をつくる、その実践もふくめて、総じて、勇気の湧く読書体験でした!ありがとうございました〜

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