ただ情欲だけでなく、生きていくために抱き合う
『落下する夕方』江國香織 著*角川文庫
ちょうど一週間前。夕暮れ散歩していたら、ちょうど夕日が落ちようとしている瞬間に出くわした。光輝く空がとてもきれいでずっと見ていた。そのとき「落下する夕方」と思わず、呟いてしまった。落下する夕方、と何度も、なんども。
そんなわけで、ずいぶん昔に読んだ小説を思い出した。そういう心のちいさな衝動にはなるべく素直に従うようにしているのだ。なので書店へそのまま足を向けたのだった。
江國さんは小説のあとがきでこう言っている。
たぶん、このことは「孤独」と関係があるように思う。ひとりで居ることと冷静さの相関関係。
主人公の梨果は8年同棲している恋人健吾にある春の日、別れを切り出される。理由は若い女、華子。部屋を出ていく健吾を止めることも出来ず、また別れを認めることも出来ない。この梨果の恋人に対する思いと言うか、執着がすごい。形見にとねだってもらった彼のジャケットをリビングに吊るし、健吾の残していった本もCDも、食器も元の場所に置かれたままだ。それでもつながっていたいという想い。
そんな折に、健吾をたぶらかした華子が梨果のマンションに訪れ、なんとそのまま居ついてしまう。最初は嫌悪感を感じるものの、華子の不思議さに魅了されていく。そこにおかしな三角関係が始まっていく。健吾も華子会いたさに、三日に一度は梨果に電話してくるし、梨果にとっては、華子が健吾に繋がっている存在でもあり邪険にできない。
そんな不思議な関係性がこの話の核にある。別れた恋人同士なのにそんな感じもなく、ただ曖昧な関係が続いていく。それは、とても不健康なことなのだろうけれど。はっきりしないふたりがある意味もどかしい。
しかも、本当なら仲良くできるはずのない女同士のふたりに友情のようなものさえできる。
そんな奇妙な関係が、後半ある出来事があり、変化が訪れる。それで関係性が変わる。喪失は人や、人間関係さえも変えていく。良くも悪くも。
夕方、衝動に突き動かさるるように健吾の部屋へ行き、セックスを求めようとする梨果になぜか心打たれる。
昔、なにかの小説で「セックスは傷を中和する」というフレーズがあった。良くも悪くも、わたしたちはそれでも生きていかなければならない。セックスはただ情欲だけでなく、生きているものが現実に戻る為の手段にさえなる。そのことに心が震える。
ちょうど一週間前、空を見上げて静かに落ち着いていく感情に似ている震え。夕方は落下していく。
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